2009年9月アーカイブ

脱普遍主義

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缶詰めの中の普遍主義者は全員矛盾を抱えている。

彼らは、心の中では普遍主義を脱したいと思っている。
その一方で、言動は普遍主義を強化するようなものになっている。


この缶詰めではメインの講師に加えて、ゲスト講師もしばしば登場する。
講師は、いずれも非普遍主義者。
普遍主義を越えたところにいる。
普遍主義的な思想をもっていると大きな成功は期待できない。

非普遍主義者にはひとつ特徴的な振舞いがある。
講師にも共通することだ。

それは、問答無用の指示はめったに行なわない、ということ。

とにかく早起きしろ、とか、まず信頼を築け、とか、言わない。

言うときは、必ず前提がある。
気持ちよいと感じるなら、とか、コストを下げたいならば、とかいった前提だ。
そういった前提なく、誰でも、とにかくこうしろ、というケースはほとんどない。

ほとんどないのだが、あることはある。
稀にある、問答無用の命令。

そういう命令は、いってみれば、早く普遍主義を捨てろ、だ。

こっち側に来い。
縛られるな。
許せ。
認めろ。

この類いの指示は問答無用の命令になっている。


講師の方々はこういった振舞いを示すのだが、それを受けた参加者の言動は芳しくない。

実際に自分の意思で行動しようとすると、普遍主義が出てくる。
参加者同士で普遍主義を出し合い、お互いに強化している。

彼らは、講師の言に従い、また、講師に近づこうとしている。
普遍主義を脱しようとしている。

それにも関わらず、言ってことやっていることは普遍主義的。


普遍主義を脱したい。
脱するためにがんばる。
だけど、そのがんばり方が普遍主義的。
結果、普遍主義がますます強化される。

多くの人が、そういう矛盾を抱えている。


この矛盾は缶詰めのそもそものコンセプトにも関わってくる。
缶詰めのコンセプトは、講師の生き方を参加者の見本にすること。
非普遍主義者的な生き方を勧める、ということだ。

参加者が抱える矛盾に直結している。
非常に重要。

だから、矛盾を抱えた普遍主義参加者には、どう対応するのがよいか。

これがひとつのテーマとなる。


難しいのは、直接の対話は成功する見込みが低い、といこと。

普遍主義者は、普遍的人物像という強力なフィルターを通してしか世界を見ていない。
対話が成功しにくいのは、話がフィルターで曲げられてしまうからだ。
意図が正確に伝わらないのだ。

普遍主義者にとってみれば、発言者の意図を正確に汲み取るよりも大事なことがある。
普遍的人物像をあてはめる、ということだ。

発言者の意図よりも、普遍的人物像のあてはめの方が優先度が高い。

だから、直接話をしても、なかなか矛盾は解消されない。


心の中では、普遍主義を脱したいと思っている。
だけど、言動は普遍主義万歳。
対話での矛盾解消は期待できない。

これが、缶詰めのいたるところで見られた特徴だ。


この状況、一見、八方ふさがりな感じがしてしまう。
矛盾を解決する方法がなさそうな。

そんな気がしてしまうのだが、実は、まさにこんなときのための手法、というものがある。


彼らの中で矛盾しているのは、意識と無意識だ。
意識と無意識が相互に反発している。

意識では普遍主義。
無意識では脱普遍主義。

そういった構図だ。

この構図は、実は、よくある構図。
とくに缶詰め参加者には馴染みが深い。
対応策も数多く学んでいる。

つまり、解決策は、既に提示されている、ということだ。
矛盾を解消したければ、こうしろ、と。


普遍主義は今の日本では支配的なポジションを保っている。
それが問題になることも多い。

缶詰め参加者は、それに対応するスキルを学んだ。
普遍主義の問題の深さ、解決の困難さに思いを巡らすと、我々に託された期待は予想以上に重いのかもしれない。


<<今日のトレーニング>>

東京でお勉強。
缶詰めをやっていると、こんな主張が出たりする。

朝、遅刻してくるのはありえない。
全員、自分の欠点を正すのが目的で来ているはずだ。
一糸乱れぬ行動を目指すのがよい。
コンテンツはとにかく参加しなければならない。
今よりもっとよい状態にできるに違いない。
など。


これらの主張は、共通の特徴を持っている。
普遍的な何かの存在を前提としている点だ。

このような主張をする人たちは、ある人物像のイメージを描いている。
参加者全員、こうであるに違いない、という人物像。
普遍的な人物像。

彼らは無意識的に、普遍的人物像を最優先のものとみなしている。
はじめに、普遍的人物像ありき。

普遍的人物像なら、どう考えるか。
普遍的人物像なら、何を話すか。
普遍的人物像なら、どういった行動をとるか。

全てがそこからスタートする。


普遍的人物像が最優先なので、現実とズレた場合、現実の方を矯正しようとする。
人物像に合うように。

それが表に出てくると、先に挙げた主張が出てくる。


長いこと缶詰めをやっていると、極限状態になってくる。
普遍的人物像に合わない言動が目につくようになってくる。
当人自身も人物像とズレてきたりする。

そうすると、責め始める。
人を責め、自分を責める。

当然、苦しい。

それでも、彼らにとって普遍的人物像は絶対の存在。
そこを変えるわけにはいかない。

変えるのは現実の方。
どんなに苦しくても、そこはゆずれない。

というか、苦しい根本的な原因が、そこにあることに気付かない。
普遍的人物像を手放す、という選択肢が見えない。
だから、残された唯一の手段である、現実への操作に全力を注ぐ。


そして、さらに問題を深くしている要因がある。
人数の問題。

普遍主義者の数が、非普遍主義者よりも圧倒的に多い。
8~9割は、普遍主義者。
適当に手を伸ばせば、普遍主義者が掴まえられる。
人も歩けば普遍主義者にあたる。

ついでに、非普遍主義者は、かなりよく見ないとそうであることが分からない。
普遍的人物像を持ってないのが、非普遍主義者。
持っていても表に出していない普遍主義者との区別が難しい。


先日、多数の論理で触れたが、核心はこういったところだ。
普遍主義者vs非普遍主義者の多数決が展開されたのだ。

(続く)

<<今日のトレーニング>>

今朝、外が明るくなってきたあたりで、缶詰め終了。
これから、東京に移動してお勉強。

発熱

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熱が出た。
38.5度。
おヘソで茶を湧かせられる。

昨日今日は、お勉強をお休みして、ホテルの自室で療養中。

まる2日ぐったりしてたら、大分よくなってきた。
明日には元気になりそうな気配。


<<今日のトレーニング>>

缶詰め7日目。

とりあえず現状

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おもしろい着想が得られた。
昨日の、コミュニケーション断絶への対応策だ。

普遍的な何か、の存在を前提にする人たちへの接し方。

書きたいところだが、なにぶん精神的、身体的に楽しげな状況になっているので、後日にする。

実は今、午前4時過ぎ。
明日は午前6時半から水泳。

楽しげ。

<<今日のトレーニング>>

缶詰め5日目。

勃発

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ついに出た。
多数の論理

今の缶詰めコンテクストでは、多数派陣営は基本的にある信念を前提にしている。
普遍的な何か、が存在するという前提だ。

普遍的、というのは、万人にあてはまる、という意味。
誰でも、どんな人でも、こう行動するに違いない、こいうものを欲しがるに違いない、という信念だ。


どんな境遇で育ったか。
どんな人たちと出あったか。
どんな文化に触れたのか。

人間ひとそれぞれには個性がある。
その個性には、その人が生きた、何十年もの経験が集積されている。
全員が同じものに価値を見いだすことはありえない。

それにも関わらず、誰でも、何かひとつの共通のものを目指すだろう、と思っている。
誰でも、ある単一の型に当て嵌めることができるに違いないちがいない、と思っている。

それが行動に表れはじめてきた。


この缶詰めセミナーに来る目的って、ひとつしかないでしょ?

端的にいえば、こんな主張が信じられている。

そう主張する陣営は、それを元にして全員を型に嵌めようとする。
実際にどういう人がいて、どういう目的を持っていて、どういう考え方をするのか、は確認しない。
ただ、主張するだけ。

もしかしたら、本人は確認したと思っているかもしれない。
だけど、その確認方法は確認になっていない。
相手の言動を全て自分のイメージに合うように変換するからだ。
自分の中の普遍的な何か、に合うようにだ。

当然、真の相手とはズレている。
ズレた相手に自分の主張を通そうとしている。

相手の主張は全て変換されて聞こえるので、コミュニケーションが取れない。
さらに、コミュニケーションが取れていない、ということに気付いていない。


この難題をどう乗り切るか。
今、まさにその渦中にいる。


<<今日のトレーニング>>

缶詰め4日目。

信頼の速度

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信頼している人をイメージしてみる。
そのとき、どう思うか、どう感じるか、を書き出してみよう。

実際に、信頼している人を思い浮かべる。

安心。
頼れる。
任せられる。
速い。
的確。
結果につながる。
プロフェッショナル。

など。


一方、信頼できない人の場合はどうか。
同様に、実在の知人を思い浮かべて列挙してみる。

不安。
遅い。
まどろっこしい。
手間がかかる。
シロート。
関わりたくない。

などなど。


書き出してみて、明確になる点がある。

一緒に何かをやるとしたら、どっちのタイプがよいか。


明らかだ。
当然、信頼できる方がよい。

安心できるし、速いし、結果がでる。


しかし、現実では必ずしも信頼できる人ばかりと付き合えるわけではない。
信頼できない人と関わらなければならない状況は多々ある。

この人しかいないから仕方がない。
本当はもっと信頼できる人がいいのだけど。


ビジネスの場合、相手が信頼できない人だとこいうことになる。

求めているモノが出来あがってくるか不安だ。
いつまでたっても終わらない、ということはないか。
後で問題が起きた場合、ケアしてくれるのか。
こちらの質問に的確に答えてくれるのか。


信頼が成り立っていないと、こういった思いが出てくる。
そして、それを文書化する。
事細かに。

甲は乙にうんたらかんたら。

うんたらかんたら。

うんたらかんたら。

著名。
ハンコ。


信頼がないと、スピードが減る。
コストが増える。

文書化する手間と時間。
ときには専門家の手も必要となる。
そして、オフィスの棚は契約書だらけ。


店と客との信頼関係でも同様だ。
コストとスピードにつながる。

こんなエピソードがある。

ホットドッグの屋台の話。
店はひとりで運営している。

焼いてはさんで盛り付ける。
現金を受け取って、お釣りを返す。
ひとりで。


昼時になると、行列ができる。
ホットドッグ食べたい人は多い。

しかしながら、時間がない人も多い。
行列の長さを見て諦める人もいる。

店長は、あるとき、この事実に気付いた。
お釣りを渡しているとき、ふと、列の後ろの方が目に入った。
時計を見て、残念な顔をして列を離れる人がいたのだ。


これは勿体ない。
店長は思った。
そして対策を打った。

支払いを、お客さん任せにした。
バスケットにお金を入れてもらう。
お釣りは勝手にとっていってもらう。

こうしてしまうと、お釣りを誤魔化したりする人も出てくるだろう。
だけど、店長はお客さんを信頼することにした。

自分はホットドッグ作りに専念できる。
速く作れるようになる。

その後、どうなったか。

売り上げは、即座に2倍になった。

2倍。

今までの売り上げが100万だったとしたら、200万だ。


やったのは、ただ購入者を信頼しただけ。
新しい設備は何もない。
スタッフを増やしたわけでもない。

かかったコストはゼロ。

それで、売り上げが倍増。


お客さんを信頼することで、ホットドッグを作るスピードが上がった。
バスケットで会計しているので、キャッシャーやら何やらのコストが不要になった。

スピードが上がってコストが下がる。
信頼がもたらした結果だ。


今の時代、金融危機であると同時に、信頼危機でもある。

ホットドッグ屋の話を聞いてマネしようと思うだろうか。
思わない、というのであれば、それは信頼危機が反映されている。

自分が信頼されるようになるのは簡単ではない。
人を信頼するのも難しい。

その壁をどう乗り越えるか。
越えられたとき、全てが速く簡単に回るようになる。

<<今日のトレーニング>>

缶詰め3日目。

5000と200の奇跡

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今の時代、日本という国がいかに恵まれた環境か。

これをトランプに例えてみてみる。


今の時代というのは、過去何万年、人類が望んでやまなかった時代だ。

蛇口をひねればお湯が出る。
ただの水でさえ、手に入らなかった時代もあるのに。
水を巡って殺し合いも起こった。

店に行けば食べ物が買える。
誰かが種を撒いて、育てて、収穫してくれたもの。
会ったこともない人が運んでくれて、知りもしない人が棚に並べてくれている。

メッセージを送りたいと思えば、一瞬で地球の裏まで送ることができる。
手の平サイズの機械で、話をすることもできる。
疑問があれば、即座に調べられる。


そういう時代に我々はいる。

過去10万年の人類の歴史の中で、生まれる時代を選べるとしたらどれにするか。

水も電気もない時代を選ぶか。
それとも、今の時代を選ぶか。


ひと世代20年と考えると、10万年は5000世代。
今の世代にいる、ということは、5000分の1の確率だ。

5000枚のカードが積まれているとしよう。
中から一枚選べ、という状況だ。
どのカードを選びたいか。

我々のカードはその確率の上で手にしたものだ。
いかに奇跡的な確率か。


一方、他のカードをひいてしまった人は4999人いる。
我々ひとりにつき4999人だ。

彼らの時代では、ケータイがない。
インターネットもない。
電話もないかもしれない。
食べ物すら十分に得られないかもしれない。

我々ひとりにつき、4999人、そういう人がいた、ということだ。

その人たちは、今の時代を見たら、どれほど羨むだろうか。

カードを交換したい、という人はどれくらいいるだろうか。
交換できるなら何をしてもよい、という人はどれくらいいるだろうか。


今の時代に生きている、ということはそういうことだ。
5000枚のカードの中でベストなカードではなかろうか。


我々は既に、5000分の1のベストカードを手にしている。
だがしかし、生まれた国が日本でなかったらどうだろう。

世界には200あまりの国々がある。
生まれた国が、日本でなかったらどうなっていただろうか。

もし、アフガニスタンだったら。
シエラレオネだったら。
ルワンダだったら。
北朝鮮だったら。

200枚のカードから一枚選ぶ。
選ぶカードで生まれる国が決まる。

どのカードを手にしたいか。

我々は日本のカードをひいた。


今の時代、今の日本。
5000世代のうちの今の世代。
200の国の中の日本。

この状況に生まれる確率は、どれだけか。
他の時代、他の国に生まれる可能性は、どれくらいあったのか。


カードが配られると、いかに手が悪いかを嘆く人は多い。

これが足りない。
あれさえあれば。

だけど。

本当に悪い手なのか。
他のプレイヤーはどういうカードを持っているのか。

そこに思いを馳せると、見えてくるものがある。
これこそが重要なところ。

既に手にしているもののよさを分かっていない人は、何があっても不満ばかり。

スタバが閉まっていた。

ちっ。

高速が渋滞してた。

いらいら。

メールが遅延した。

むきー。


彼らは、何がどうなったら満足するのだろうか。
誰かに感謝することはあるのだろうか。

そうやって、死ぬまで不平だらけの生活を送るのだろうか。


今、もっているカード。
今、与えられた状況。

それがいかに恵まれたものか。
そこに気付いたとき、人生は変わる。


<<今日のトレーニング>>

缶詰め2日目。

生死の境目

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死を意識すると、人間は違ってくる。


来月死ぬかもしれない。

来週死ぬかもしれない。

明日死ぬかもしれない。

そういう実感を得てしまうと、別人になる。

見るもの聞くもの触るもの、全てに何かを感じるようになる。

やりたいことを先に延ばしたりしない。
何かに手を抜くこともない。
ヒマワリが生えているだけで感動する。


ある人は、こういう人間をダザインと呼んだ。

死を意識している人。
今の生が限りあることを認識している人。
死ぬ、ということは、まったくもって普通にありえることだと実感している人。

死を意識しているからこそ、ダザインは想像もできないようなパフォーマンスを発揮する。
誰にも描けない絵を描く。
誰にも作れないものを作る。
誰にも登れない山を登る。

そして、ダスマンゆえに、誰よりも生きている実感を持っている。
死ぬことを身近に感じているからこそ、だ。


一方、今の日本はどうか。

死を意識することはあるか。
死と隣り合わせの環境で生活しているか。
明日死ぬかもしれない、と思うことはあるか。


死を意識することがなければ、人は錯覚する。
時間がいくらでもあるかのように。

明日も生きている。

来週も生きている。

1年後も生きているし、多分、5年後も10年後も生きている。

考えることもなく、そういう前提で生活する。


死の意識が希薄だと、日々のパフォーマンスは上がらない。
何かにつけて、今やらなくてもよい、と思ってしまうからだ。

明日でも明後日でもよい。
来月でも来年でもよい。

いつかやればよいでしょ。

こういう発想になるのは、死が意識されないからだ。


今日、ある登山家の話を聞くことができた。
8000m級の山を無酸素で登頂している。

8000m級の山。

高い。

酸素ない。

そして雪だらけ。


かなり、危ない。
危ない、という単語が陳腐に思えるほど、危ない。
実際、死ぬこともある。


山を登っている。

あたり一面雪。
チームで行動している。

山頂目指して歩く。
もくもくと歩く。

突然、誰かが叫ぶ。

なだれー!


反射的に、たまたま脇にあった岩陰に飛び込む。
直後に世界が真っ暗になる。

昼間なのに。

雪にさらわれて空気もない。
息ができない。

暗闇の中、呼吸ができない中、じっと待つ。

光も酸素も奪われて、永遠とも思える時間を数える。

再び明るくなる。

雪崩が過ぎていった。


周りを見ると景色が変わっている。

人が消えている。
仲間がいなくなった。

数十秒前まで、何ごともなく一緒に歩いていた仲間だ。
もう助からない。

たった数メートルの差。
ほんの一瞬の判断の差。

それが、生死を分ける。

8000mの登山。
その登山家が日々接しているのは、そういう世界だ。


なぜ、わざわざそこまで危険な登山をするのか。
文字通り、死ぬほど危険。
誰に強制されているわけでもない。

この疑問に対して、こう答えている。

山には死が充満している。
前にも後ろにも、右にも左にも、上にも下にも。

死に囲まれている。
そういうところに身を置くことで、生きていることを実感する。

死を意識できる場所だから、生きている実感が持てる。
だから、登る。


ダザインだ。

まるっきりダザインだ。

ダザインオーラが出ている。


我々が、直接死の実感を得ることはほとんどない。
進んで実感を得ようとも思わない。
本当に死ぬかもしれないから。

死を避けることで、必然的に死の意識が薄れていく。

そういう環境にいる中で、彼のような人物と触れられたのは貴重だ。
ダザインの生き方に触れられた。


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缶詰め1日目。

缶詰めの中の多数決

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人が集まると、そのうち意見が対立する。
対立したときにどうするか。

話し合っても妥協点が見出せない。
誰かが仲介しても歩み寄りがみられない。
そして時間に限りがある。

そういうときだ。

どうしましょうか。

こうしましょうか。

いや、そうしましょう。

いやいや、ああしましょう。

やがて、煮詰まってくる。
煮詰まってきて話が進まなくなる。

そうなると出てくる。

アレが。

そう。


多数決。

多数が決める。
多い方が正しい、の論理。


多数の意見は通って当然、と思ってしまう人は多い。
少数派なら諦めるしかない、と思う人も多い。

つまり、多数決は妥当な解決方法だと思っている人が多い。


一見、多数決が妥当に思えるかもしれない。
だが、多数決の行きつく先に、考えを巡らしてみたことはあるだろうか。

多数がよくて、少数はひっこむべき、の理論を推し進めた結果がどうなるか。
これを、あらかじめ考えられる人とそうでない人では、全然違う振舞いになる。


さて。

明日からは缶詰めイベント。
ここは、多数決問題が起こりうる場になる。
多数決の行き着く先を実体験できる場。

意見が対立する。
多数対少数。
時間もない。
みんな眠い。

こういう状況になったとき、人間どう動くか。


多数決以外の道も、ないわけではない。
けど、そういう方法は時間もかかるし人手も食う。

多数決に流れる可能性は高い。


そういうわけで、今回の缶詰めのテーマは多数決。
缶詰めの中の多数決が、どう振る舞うか。
それにどう対応するのがよいか。

実際に体験できる、貴重な機会だ。
得られるものは大きいと思う。


<<今日のトレーニング>>

缶詰め前日でお休み。

缶詰めお勉強

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明後日から、8日間耐久お勉強イベントに行ってくる。

このイベント、実におかしい。
コンテンツは、朝9時から、深夜26時くらいまでみっちり続く。

当然ウチに帰る余裕などない。
ホテルで缶詰め。

それが8日連続。

うん、おかしい。


そんなおかしなイベントだが、今回はピーターさんがやってくることになっている。
ピーターさんは、そもそものサハラマラソンの発端になったナイスガイ。
2年前のサハラマラソンを完走している。

しかも、ただのマラソンランナーではない。
売上億越えのビジネスを複数立ち上げた実績のある起業家。

どんな話を聞かせてくれるか楽しみだ。


<<今日のトレーニング>>

おやすみ。

地道な活動とよい変化

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友人とピザと唐揚げをつつきながら話をしてきた。

彼も私と同様、個人でビジネスをやっている事業主。
私からしてみれば、市内在住で、平日の昼間でも時間がとれる貴重な人材だ。
東京にならそういう人は沢山いるが、浜松にはほとんどいない。

やっているビジネスも、私のものとオーバーラップしている。
ということで、ことあるごとに一緒に食事するようになってきた。
今となっては、月に一回程度、ランチするのが恒例になっている。


ランチしていると、いろいろ話するわけだ。

ビジネスの進捗報告だったり、最近読んだ本の話だったり、おもしろい体験談だったり。
このブログで扱っているようなテーマも出てくる。
こうやって長いこと継続的に接していると、何かしら影響が出てくるものだ。

今日、彼がこんなことを言っていた。

ここのところ、このブログや勧められた本を読んだりしている。
そうしていると、段々自分が変わってきた。
以前とは違うものを選ぶようになってきた。


自分の中に、何らかの変化を感じとったみたいだ。

よい変化だ。
よい変化、というのは彼にとって、よい、ということ。
彼のライフスタイルや考え方が、彼自身からみてよくなった、という変化だ。

私の活動が、そういう変化を与える一因になったということはうれしいかぎりだ。
それこそが、私のやりたいことの根底にあるから。


実は、このブログでも、そういう変化ネタは随所に散りばめてある。
読んだ人の生活を、少しでも変化させられるような話題だ。
そして、話題を正しく理解してもらえれば、受けた変化はよいものになるはず。

ただ、ややこしいことに、言いたいことの本質は、なかなか伝わらない。
伝わらない理由も分かってはいる。

その上で、やっぱりブログを書いている。

読み続ければ、いつか、変化が感じられるように。


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.5km
時間: 61min
私はゼッタイ正しい。

・・・と認識していなくても、そういう前提のもとに話をしてしまうことがある。


朝は早めに起きるべし。
ウソはつかないこと。
言ったことは最後までやるように。


いずれも一見まっとうな話だ。
だけど、残念ながら万人に納得してもらえる話ではない。

納得してもらえないとき、どうするか。
これまた、残念なことに、大抵は数の暴力的に実力行使される。
納得しない人の思いはムシ。

さらに、主張する方は、なぜ、そういう主張が生まれたのか、ほとんど考えない。
ただ、その主張に賛同する人の数は多い。
人数が多い、という点を主張の根拠にしたりすることさえある。

びっくりだ。

はじめに主張ありき。
はっきり言って根拠はどうでもよい。

そんな光景がいたるところで展開されている。
今日もそんな体験をした。

というか、ほぼ毎日、そういう体験だらけ。
大丈夫か、この国は。


では、ゼッタイ正しい発言する人は、何を見ているのか。
誰と話をしているのか。

目の前にいる、今まさにコミュニケーションを取ろうとしている人を見ていないのは明らかだ。
相手が見えていれば、相手に納得してもらえない主張を無根拠で押し通そうとはしない。

その場にいる相手ではないとしたら、誰と話そうとしているのか。

それは、発言者が勝手にイメージした仮想の人間だ。
仮想人間。
実際にはいない人間。

発言者は、話し相手を、そういう仮想人間に違いない、と勝手に決めている。
そして、その仮想人間と話をしようとしている。

この人は、朝起きて夜寝るに違いない。
正直がよいと思っているに違いない。
有言実行をよしとするに違いない。

そういう前提が、無意識のうちに大量に集められて、仮想人間が形作られる。

たまたま相手になってしまった人からすれば迷惑な話だ。
話し手は、実在の相手ではなく仮想人間に喋っているだけなのだから。

自分をひとりの人間として扱ってもらえてる気がしない。
当たり前だ。
扱ってもらえてないのだから。


とはいいつつも、ひとつ避けられない問題はある。
仮想人間を介さずに、コミュニケーションを取ることは原理的に不可能、ということ。

誰でも、どんな場合でも、必ず仮想人間越しに話をすることになる。
解釈学的に、この点は確固としている。

おっと。

これは大変だ。

問題はゼッタイ正しい発言する人だけではない。
人間だれしも、仮想人間越しにしかコミュニケーションが取れないとは。


それならば、本当に相手を見て話をする、というのは、どういうことなのか。
できることは、勝手にでっちあげた仮想人間を、可能な限り相手に合わせること。

これだ。

相手を仮想人間に合わせようとするのではない。
仮想人間を相手に合わせるのだ。


仮想人間は、自分の頭の中でイメージしている人間像。
つまり、相手を変えようとするな、自分を変えろ、と。

変えるのは相手ではなく、自分。

無意識に相手を変えようとしていないか。
無意識に自分を変えないで済ませようとしていないか。

相手を変えようとしても、不快に思われるだけ。
誰のためにもならない。
そこに気付くだけの感性がほしいものだ。


<<今日のトレーニング>>

雨気味な天気なので、マサイは自宅待機。
アイツは水に弱い。

夜間、小雨、水500ml、BCAA前後各5g、トレランシューズ。

距離: 8.8km
時間: 61min

焼肉屋で高山病

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ふぁ~ぁぁぁぁ・・・

ねむ・・・

と、なるのは、ナゼか。


一説によると、酸欠なのではなかろうか、と。
あくびが出るのも、酸素を補充するためだ。

あくびは酸素補充。
口開けて空気を吸っている。

意外と空気を吐いている、と思っている人もいるが、違う。
あくびは、吸うもの。

あれは、強制的な深呼吸だ。
ノーミソが、酸素足らんから吸え、と言っているのだ。

眠たくなってきたら深呼吸しろ、という人もいる。
あくびしろ、というのと同じだ。

酸素をもっととれ、ということ。


喋りまくった後にも眠たくなることはある。
これも、酸欠の可能性が高い。

喋る、ということは、息を吐く、ということ。
長いこと喋っていれば、当然吐く量も増える。

増えた分だけ吸う量も増やせばよいのだが、そうならないことが多い。
それで酸欠になる。


このようなことを考えていると、眠気イコール酸欠説が現実味を帯びてきた。
眠い、というのは、酸素が足りないだけではないのか、と。


もし、この説が妥当であれば、焼肉屋から帰ってくると眠たくなる現象も説明できそうだ。

焼肉屋では火を使う。
火を使えば、当然空気中の酸素濃度が下がる。
濃度が下がれば、吸う酸素量も減る。

山登りと同じだ。
焼肉屋では高山病にかかれる。


しばしば、焼肉屋のトイレで、ぐったりしている人と遭遇する。
あれは、きっと高山病だ。

トイレなら酸素があるに違いない、と希望を持ってやってくるのだ。
そして力尽きて動けなくなる。

顔面蒼白。
呼吸も浅い。
そして、頭痛や吐き気。

高山病の症状だ。
酸欠だ。


焼肉屋では酸欠にならないように気をつけよう。
酸欠対策には、あくびが効果的だ。

肉を食べながらあくびをする、という習慣を身につけると、よいかもしれない。


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.1km
時間: 63min

浜松と群馬と沖縄とアメリカ

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今週末はお勉強漬けな週末になった。

昨日は先生と面談した。
今日は他の生徒仲間とスカイプした。


それにしても、スカイプはひじょ~に便利。
参加者同士、かなり離れている場所にいるのに、リアルタイムで話ができる。

ひとりは浜松。
ひとりは群馬。
ひとりは沖縄。
そして、ひとりはアメリカ。

こんなに派手に散らばっていても、会話できる。
4人同時に。
タダで。

いい時代になったと思う。
これだけのインフラが誰でも手に入るのだから。


そのインフラの恩恵に存分にあずかりながら、話を弾ませた。

昨日の面談の話をしたり、近況を報告し合ったり、オススメの本を紹介し合ったり。
志を同じくして集まった集団だ。
話していると楽しい。

いつも、こう楽しければよいのだが、残念ながら我々は少数派。
少数民族。
絶滅危惧種。

本当に話したい内容は、オフで会えるような人には通じない。
月に一回か二回、授業で東京に行ったときに会うくらいだ。


せっかくなんだから、もっと話したいな~
と思っていたところ・・・

そうだ。
スカイプ使えるじゃん。

ぴかーん。

きっと、その瞬間は目がアヤしく光ったでしょう。


さっそく、呼び掛けたら、4人集まった。
11時から始めて、解散したのは3時少し前。

おいおい、明日はシゴトだよ~

と、誰かが言いはじめるまで続いた。


時間を忘れたね。
フロー状態だった。


今の時代、コミュニティには距離は重要ではなくなってきた。
別に近くに住む人たちだけで構成する必要はない。

この縛りが薄れた効果は大きい。
ものすごくニッチな分野でも、コミュニティが作れるのだから。

我々みたいな。
我々、ニッチか。
やっぱり。

サハラ砂漠走ろうとしている人もいるし・・・


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 8.7km
時間: 66min

売れる予感でフェラーリが買える

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東京に行ってきた。
先生に個人面談を受けに。

テーマはとくに決まっていない。
その場その場で好きなことを好きなように話す。

今回テーマになったのは、理系の傾向とか、優位感覚とか、オルテガとか。
サハラマラソンの話題も出てきた。

先生も、サハラマラソンには興味あるようだ。
再来年あたり、出場するかもしれない。


話題がいろいろ飛びながら、雑談のような雰囲気で延々と話をする。
話していると、予感、というものについてのトピックになった。


いわく、予感は当たるものだ。

売れる、という予感があるときは売れる。
逆に、だめかな、という場合は、売れない。

彼自身は、一流のマーケター。
彼が、売れる、というと、フツーではない売れ方をする。

一日で、何千万規模の売り上げを弾き出したりする。
ほとんど、ひとりで。

そういう人が言うから重みがある。
彼が、売れる、と予感すれば、フェラーリが買える、ということだ。


ただ、注意したい点はある。
予感、というものは人間がコントロールできるものではない。

予感は、降ってくるもの。
こちらから探しに行っても手に入らない。
我々には待つことしかできない。
風と同じ。

人は風を起こすことはムリ。
いつ来るかは分からない。
そして、いつなくなるかも分からない。

だから、それが来たときに備えて準備はしておこう。
降ってきたのが分かるように、感度を高めておこう。

そういうものだ。



ちなみに先生もK人間

授業中に、ぶよぶよっ、とか、びろ~ん、とか、言ってくる。
分かりやすい。


<<今日のトレーニング>>

東京出張でお休み

常識は省エネ

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クレームが来てしまった。
住んでいるところの管理会社から。

同じ建物の住人の誰かが苦情を訴えたらしい。
夜にピアノを弾いていたのが気になった、とのこと。

管理会社いわく、ピアノは弾いてもいいが、夜はやめてくれ。
弾いてよいのは、朝○○時から夜○○時まで。


ごめんなさい。

確かに夜弾いた。
悪いと思ったので、こう言ってみた。

謝りにいきたいので、誰から苦情が来たか教えて。

そしたら、

守秘義務があるから、教えられない。
この話を管理会社からあなたに伝えた、ということを知られるのもマズい。

ときた。


むむむ・・・


クレームした人にクレーム対応をしたことがバレるとマズいのか。
理解に苦しむ理屈だが、教えてもらえないのは仕方がない。

仕方ないので、制限された時間外は控えるようにしよう。



さて。

実はこの一件、根本的な問題はさっぱり解決されていない。
そのことに、管理会社もクレームした人も気付いていない。

私がピアノを弾く時間を区切ったところで、解決したように見えるだけ。


問題は、クレームした人は、本当は何が気になっていたのか分かっていない、という点。
管理会社の人は、夜間の楽器がよろしくない、と言ったが、本当にそれが問題なのか分からない。

ピアノというのはどうでもよくて、夜に何か音が聞こえるのがイヤなのかもしれない。
実は、音は関係なくて、鍵盤を叩く振動が伝わっていて、その振動が気になったのかも。
あるいは、たまたまその時に弾いていた曲が、最高にキライな曲だった、とか。
単に住人(つまり私)がなんとなく気に入らないから、何となく何か言ってみた、とかいう可能性も・・・

可能性は無限だ。

無限にある可能性の中から、最もありそうなもの、を適当に選んで採用したようだ。
そして、それを採用しさえすれば、クレームもおそらく収まる。

問題は何も解決されていないのに。


こういう話をすると、フツー、夜に楽器を弾くのはマズいでしょ、常識的に。
という至極もっともな反論がくる。

至極もっとも。

だけど、この論には、ひとつ見過ごされている点がある。

当事者全員が、その常識に同意しているわけではない、という点だ。
同意していない人がひとりでもいれば、それは常識うんぬんで片付けられる問題にはならない。

常識とは、80%くらいの人が80%くらい同意している、という、ゆるい暗黙知だ。
あてはまらない人は当然いる。

その、高々80%のそのまた80%の場合にしか適用できない事項を、あたかも万能かのように扱って問題を解決できるのか。


どう?

できそう?

ミュージシャンに、夜中楽器弾いちゃダメよ、常識的に。
って言っただけで問題解決しそう?


常識をタテに何かを主張する、ということはそういうことだ。

常識論は、人を人としてみていない。
人を機械のように扱って、機能しなければ壊れている、とみなすような行為だ。



だけど、やっぱり常識という便利なモノに頼ってしまいたくなる。

これを使えば、頭を使わなくて済む。
どこに問題があって、どう解決するのがベストか、というのを考えなくて済む。

どういうわけか、そういう省エネな方向に人は流れてしまう。

突然、ものすごくエネルギーを消費するようなものをはじめたりするのは、その反動かもしれない。


砂漠走ったりとか・・・


<<今日のトレーニング>>

お休み。

ブログとトレーニングがジョジョ

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今日は木曜。
木曜といえばヨガ。
ヨガといえばダルシム。
ダルシムといえばズームパンチ。

まだまだ、ズームパンチへの道のりは遠い。


そんなわけで、今日もたっぷりとヘンテコポーズをとる。

ありがたいヘンテコポーズをとること1時間半。
本日のヨガタイム、終了。
いい汗かいた。

たいして暑くはなかったが、やはり汗はかく。
いい汗かいたなら、迎え汗が必要だ。

何?

迎え汗?

じゃ、カレーね。


夏にキムチ鍋が流行るのと同じ理屈か。
そんな流れで、一同、カレー屋に突入。

身体も動かしたし、おいしいカレーも出てきた。
まったりと満足感の漂うディナーになってきた。

満足していろいろ話をしていると、このブログの話題になってきた。

あのブログってさー、夜書いてるの?

そうだよ。

スゴイよねー、毎日。
一時間とかかかるでしょ。
タイヘンだよねー。


そうなのだ。
このブログをはじめてから、よく言われる。

タイヘンだよねー。

とか、

よくがんばってるねー。

とか。


実際は、全然タイヘンだと思ってないし、がんばっている気もない。
それにも関わらず、周りからはそう見えないらしい。

この感覚は、例えば漫画喫茶に行ってジョジョを全巻一気に読むのと似ている。
時間もかかるし、読む以外のことはほとんどやらない。

だけど、ジョジョの場合、

タイヘンだよねー。
がんばってるねー。

とは言われない。
むしろ、ダメ人間の烙印を押される危険性すらある。

それが、ブログとかトレーニングだと、褒め称えられる。
ジョジョと同じ気分なのに。
オトクな感じだ。


実は、こういう何か行動するときの気分は、ある程度好きなように操作できる。

そう。
操作できるの。
好きなように。

方法さえ知っていれば、多分誰でもできる。
スゴイでしょ。

そうやって、ブログとトレーニングをジョジョレベルにしてしまった。
だから、ほぼ毎日こういうことをやっていても苦しくない。
むしろ楽しい。

この操作法に慣れてくると、いろんなものをいじくり回せる。
試験勉強や、日々の雑務でさえジョジョにできる。


プロ級になると、ほんとに文字通り何でもできるらしい。
他人の気分も操作できるとか。

そういうところを目指したいものだね。


<<今日のトレーニング>>

カレーの後、走った。
空腹の方が速いのだが、いたしかたあるまい。
カレーは今しか食べられないのだから。

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.2km
時間: 65min

文字書けなくても困らないよね

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シズオカってどんな漢字だったっけ・・・?

住所を書こうとして、手が止まる。
日常的に接している文字のはずなのに、思い出せない。

とりあえず適当に書いてみる。
何か違う。
しばらく、記憶と格闘しながら必死に思い出そうとする。

ダメだ。
思いだせない。

やがて、あきらめてケータイを取り出す。

あ~、静岡ね。
そうだったそうだった。


手書きで文字が書けない、ということは結構ある。
あるときなど、カタカナの「ワ」が思い出せなかった。
さすがにそのときは愕然とした。

こうなってしまった原因は明らかだ。
パソコンだ。

何か書こうと思ったら、大抵キーボードからタイピング。
メールもブログも。
手書きほとんどなし。

同様の現象はIT大国アメリカでも報告されている。

若い世代を中心に、読みづらいアルファベットを書く人が増えている。
一部の教育現場では、テストの解答にまでタイピングが導入されたりもしている。

筆記体の扱いにも変化が出てきた。
従来、大文字の「Q」を筆記体で書くと数字の「2」のような形になる。
今の時代にこれをやってしまうと、本当に「2」と勘違いされてしまうようになってきた。

これを受けて、「Q」を筆記体にする場合も、「Q」と分かるような形にしましょう。
そういう動きが出てきている。


漢字を手書きできなくて、確かに困ることはある。

困ることはあるけど、それが普段の生活に及ぼす影響はほとんどない。
ケータイで調べる、というように代替の手段もある。

だから、文字が思い出せなくてもどかしく思うことがあるが、とくに積極的に改善しようとは思わない。


そんなわけで、文字を書けない自分にびっくりしながら、生活している今日このごろ。
文字が何万種類もあるような国に生まれなくてよかったなぁ・・・


<<今日のトレーニング>>

かなり涼しい。
いつものように半袖かつハーフパンツで走ったが、末端が冷えてしまった。
そろそろ衣替えの時期かね。

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.0km
時間: 65min

マドンナが出るとか出ないとか

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2010年のサハラマラソンにマドンナが出るとか出ないとか。

マドンナといえば、現在なおもポップ界に君臨する女王サマ。
現在51歳。

調べてみると、情報は結構錯綜している。
出る、という報道があったり、それを否定しているコメントがあったり。
出所不明の情報が多すぎる。

真相はよくわからない。
マドンナだし。

真相はよくわからないけど、出たら面白いことになるだろうね。
サハラマラソン中には、砂漠でコンサートというイベントもある。
何かしらの生パフォーマンスが見られるかも。

砂漠で歌うマドンナ。
忘れられなくなるだろうね。


マドンナの曲で、ひとつ好きな歌詞がある。
Super Popという曲。
歌詞の一部を日本語にすると、こんな感じ。

もし私が動物なら、ライオン。
もし私が車なら、アストン・マーティン。
もし私が天才なら、アイザック・ニュートン。
もし私がヒーローなら、マーティン・ルーサー。

もし私が歌なら、Super Pop。
もし私がスターなら、今の私。
もし私が男なら、アメリカ大統領。

さすが女王サマ。
単なる歌詞ではなく、本気でそう思っているのではないかと思える。
だからこそ、あそこまでパフォーマンスが出る。
そんな気がする。

マドンナのアイデンティティだね。
そんな人間なら、サハラマラソン出るのも納得。

ぜひ、一緒に走ってみたいものだ。
歌いながら。


<<今日のトレーニング>>

今日は、遅かった。
暑さか湿気のせいかな。
汗の出方がまるで滝のよう。

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 7.9km
時間: 62min

グーグルの趣味

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サハラマラソンって何かなぁ?

と思ったら・・・

ググる。

マサイって何かなぁ?

と思っても・・・

ググる。

BCAAの摂り方・・・?

ググる。


モーションライト?
HIIT法?
統合失調症?

ググる。
ぐぐる。

ぐぐ~る。

Google~。


思えば、毎日数十回はグーグルのお世話になっている。
百回越えてるかも。

グーグルをはじめとする検索エンジンのおかげで、世界は随分変わった。
個人でも、プロ並の情報にアクセスできるようになった。
物を買うときの行動も変わった。


そんな、世界を変革の渦に巻き込む一端を担ったグーグルさん。
実は、かなりヘンテコリンな思想のもとに運営されている。

グーグルのビジネスは何か?

答え。

広告ビジネス。

グーグルの収入源はほとんどが広告費。

検索した結果の脇に出てくるアレ、とか。
GMailのスキマに出てくるソレ、とか。

そういう広告を出している広告主が、グーグルの主な収入源。

検索エンジンはタダ。
GMailもタダ。
グーグルドキュメントもカレンダーもグループも、全部タダ。

そういうサービスからは収入が上がらない。
むしろマイナス。

あの組織は、事実上広告ビジネスひとつで成り立っている。


グーグル社長のエリック・シュミットさんは、こんなことを言っている。

収入の97%はオンライン広告事業。
残り全ての活動は、趣味。


趣味なんだって。
サーバーいくつも用意して、ウェブメール帝国作ったりってのは。

広告事業で上げた収益を、どんどん趣味につぎ込む。
芽が出なくても、それはそれでよい。
気にせずに次々と趣味を立ち上げる。
そのうち、数多くある趣味の中から何かがヒットして、それがまた広告事業に繋がったりする。

そういうものなのかもしれないね。
うまく行っているところは。


もしかしたら、事業と趣味の区別をしていないのかもしれない。
やっているのはやりたいことだけ。
中には、売り上げになるものもあれば、ならないものもある。
外の人々は前者を事業と呼び、後者を趣味と呼ぶ。


そして、これと同じようなことをやっているのは何もグーグルだけではない。
見回せば、結構いる。
やりたいことだけやっていて、かつ、利益も上がっている、という人たち。

あるジャーナリストの指摘によると、むしろ、そういう傾向は近年着実に強まっている。
やりたいことベースの人たちが増えてきている、と。
それを支えるインフラも整ってきている、と。

時代はそういう方向に流れているようだね。
かくいう私も、その流れに乗りまくっているのだが。


<<今日のトレーニング>>

最近、速くなってきた。
トレーニング後、足の筋肉もそんなに張らなくなってきた。
成長の跡が見られる。
おおよしよし。

夜間、くもり、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.7km
時間: 64min

BCAAの摂り方

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BCAA人体実験中

昨日は、トレーニングの前のみBCAA摂取してみた。
これでトレーニングの疲れが、今日どうなるか、というのを見てみよう、と。

結果。
全然、ダメ。

ぐだぐだ。

疲れがとれない。

BCAAはトレーニングの前後に摂った方がよさそうだ、という結論に達した。


それにしてもここまで違うものだとはね。
山登りするときにも、摂っておけば筋肉痛が軽く済んだかもしれない。


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 7.6km
時間: 60min

バリン、ロイシン、イソロイシン

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昨日はあまりにも体力が回復しなかったので、トレーニングをパス。
こんなに疲労感が残ったのは、初めてだ。

なんでかな~

と思うことしばし。

思いあたるフシに思いあたった。
あれだ。

BCAAだ。
ブランチドチェインアミノアシッドだ。
バリン、ロイシン、イソロイシンだ。

これを切らしていた。
切らした機会に乗じて、数日BCAA抜き、という企画をやっていた。
どれほどの効果があったのか確認するために。

そしたら、疲労感たっぷり。
摂っている間は効果の程はよく分からなかったけど、抜いてみて初めて分かった。

今まで元気だったのは、アレのおかげね。
BCAA、ありがたや。


BCAAが重要、というのが分かったので、急いで調達。
DNSのBCAAパウダー200g。

BCAA製品は、各社からいろいろ出ているが、これが一番単価がよい。
同じ値段だったら、最もバリン、ロイシン、イソロイシンが多く入っている。


そんなわけで、今日は無事BCAAを摂取してトレーニングすることができた。

これで、また以前のようにトレーニング前後に摂ってもよかったのだが、ちょっと違う考えが出てきた。
トレーニングの前だけだとどうなるか。

用法にも、トレーニング前か途中に摂ること、と書いてある。
もしかしたら、後に摂取しても大した効果は得られないかもしれない。

そういう考えが出てきた。

自分の身体で実験してみよう。
明日になれば、効果が分かるだろう。


実は、BCAAの他にも試してみたいサプリがある。
いずれ検証してみようと思う。
自分の身体で。

こういうのを繰り返していくと、サプリに詳しくなったりするのだろうな。

実際、どのサプリが何に効くのか、イマイチ分からない。
メーカーのプロモーションに説明があるけど、やっぱり分からない。
自分の身体で実験して、実感しながら覚えていくしかないのだろう。


知人の中に、サプリを研究している人がいる。
その人も、自分で実際に試しながら、日々サプリ人体実験している。
そして、面白いからやってみたら、とか誘ってきた。

今回の件で、面白さがちょっと分かってしまった。
いずれ、誘われる側から誘う側になってしまうかもしれない・・・


<<今日のトレーニング>>

今日は飲み会。
昼、時間を確保し損なってしまったので、飲み会の3時間後くらいから開始。
3時間もすれば、元に戻るものだね。

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前5g、マサイ。

距離: 9.2km
時間: 61min

冷凍庫を開けるとピザだった

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ネットと通販の組み合わせは、実によいと思う。

カタログ通販と違って、紙面の制約がないから商品の量は事実上無制限。
検索機能のおかげで、どんなに数が多くても見つからないということはない。

在庫量はリアルタイムに反映されるし、販売者も好きなようにページを更新できる。
クレジットカードやネットバンクを使えば、その場で決済できる。

ネット通販のよさを改めて認識中だ。


本に限っては、もう何年も前からアマゾンのお世話になっている。
楽天を知るようになってから、電化製品やインテリアもネット通販を使うようになった。

本、パソコン、デジカメ、いす、プリンター、電子ピアノ、ジューサー、L字デスク、Tシャツ・・・
今、見回してみても、通販ものばかりだ。

このウチの80%は通販でできているに違いない。
残りの20%は、ジャスコかベイシア。
つまり、食料品。

食べ物は鮮度が大事だから、スーパーがいいよね。
なんて思っていた。

思っていたのだが。

ついに先日。
最後の砦、食料品にまで通販の手が伸びてしまった。

rosso1.jpg
届いた。

一昔前と違って、時間を指定できる配送会社が増えてきた。
便利だね。

時間を指定して受け取り損ねることもあるけど。
配達の人、何度もごめんなさい。

と、心の中で謝りつつ開封。

rosso2.jpg
ピザ。
5枚入り。

これで、約4000円。
一枚あたり、800円。

すぐに全部は食べれない。
当たり前か。

とりあえず冷凍庫へ。

rosso3.jpg
冷凍庫。
ピザしか入ってない。

ピザ専用冷凍庫。
いい響きだ。
やや赤いから3倍くらい冷えてくれるだろう。


では、早速ひとつ食べてみよう。
ピザ専用冷凍庫から一枚選ぶ。

トッピングは全部違う。
選ぶのが楽しいね。


選んだ一枚を自分で焼くわけだが・・・

一般家庭の調理器具でどこまでできるか。
通販ピザ屋さん、その点いろいろ考えてくれたみたい。

その結果、なかなか凝った焼き方になってしまって手順が多い。

rosso4.jpg
まずはレンジで解凍。
1~2分くらい。

rosso5.jpg
解凍したら、フライパンで裏面を焼く。
油をひかずに、裏に焦げ目がつく程度まで。
これは3分ほど。

rosso6.jpg
最後に魚焼きグリルに投入。
ここがミソなんだって。

グリルの構造は、ピザ焼き用石窯に似ているらしい。
だから、家庭でも本格的っぽい焼き上がりになるそうな。

rosso7.jpg
5分後。
んまそ~。

いい感じに焼き上がったね。
じゅるっ。

rosso8.jpg
カット。
カッターはピザと一緒についてきた。

rosso9.jpg
できあがり。

さてさて。
我が家の食卓史上、最も多くの調理器を一巡してきたピザの実力はいかほどか。
期待が高まる。


そんなわけで、いただきます。

もぐもぐ。

うまうま。

もぐもぐ。

びろ~ん。

んまんま・・・

・・・

ごちそうさまっ。

いいね。

これは。


正直、通販の食べ物など大したことはないだろう、という先入観があった。
なぜか。
あなどっていた。

予想以上によかった。
生地もチーズも十分アジがある。

宅配ピザより遥かによい。
安いし。

このピザ屋、リピーターになりそうな気配が濃厚だ。

冷凍庫を開けるとピザだった。
そんな状況が日常となる日も近いかも・・・


<<今日のトレーニング>>

今日もお腹が空いた状態でジョギング。
空腹だと、いいみたい。

夜間、晴れ、水500ml、マサイ。

距離: 10km
時間: 64min

ヨガ: 90min
昨日は唐突にアイデンティティの話をした。
これは一昨日のウィンドサーフィンの話とつながっている。

ウィンドサーファーというアイデンティティを手放した、ということ。

私にとって、ウィンドサーファーは非常に強いアイデンティティだった。
スカイプ名にもmixiの画像にも反映されている。
家のいたるところに、ウィンドサーフィン写真が貼ってあるし、ウィンドサーフィン雑誌やDVDがそこら中に転がっている。

日々、そういうものと接して、ウィンドサーファーというアイデンティティが強化されていた。

ここまで強いアイデンティティといものは、そうそうあるものではない。
それを手放す、ということは、ある意味別人になる、といってもいいかもしれない。


近いものとしてイメージできるものとしたら・・・

学校を卒業するとき、とか。
学校にいる間は、学生というアイデンティティを持って生活する。

毎日毎日登校し、何時間も教室に机を並べて勉強する。
ことあるごとに自分は学生であることを認識する。
そうやって、卒業するまで学生アイデンティティが延々と強化され続ける。

卒業すると、その強化された学生のアイデンティティが突然なくなる。
卒業式の前後でなんとなくブルーな気分になったりするのも、この影響がある。
自分が自分でなくなる気がするからだ。


そして、学生から社会人になると、フツーの人は別人になる。
社会に出たあと、学生時代しか知らない人に会ったりすると、

変わったね~

と言われる。

それはそうだ。
もはや別人だもの。


文字通りの卒業は、人生でそうそう何度もできるものではない。
が、それに匹敵するほどの変化をもたらすことはできる。
それが、強いアイデンティティを手放す、ということ。

もし、今の生活が気に入らないのであれば、これをやってみるとよい。
手放したアイデンティティが強ければ強いほど、生活が変わる。

やってみるとよい、と言われてそう簡単にできるものではないけど・・・
こういう方法もある、というのを覚えておくとよいかもしれない。


大抵の場合、現実はその時のアイデンティティにマッチしている。
現実を変えたければアイデンティティを自分から変えてしまう、ということ。


ちなみに、アイデンティティというものは、文学や映画でもしょっちゅうテーマになっている。
アイデンティティの喪失、というのは、人間が持つ究極の恐怖なのではないかと思う。

カフカの変身、ダニエル・キースのアルジャーノンに花束を、映画マトリックスやトータル・リコール・・・
いずれも、強いアイデンティティが強制的に書き換えられる話だ。

こういう話はどんなホラーよりも怖いと思ってしまう。


そんなわけで、アイデンティティ。
自分で意識している人はあまりいないようだけど、重要だよ、と。
そういうお話でした。


<<今日のトレーニング>>

空腹状態で走ってみた。
意外と速い。
空腹感さえ気にしなければ、いいかもしれない。

夜間、晴れ、水500ml、マサイ。

距離: 8.8km
時間: 60min

ワタシとアナタとアイデンティティ

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人間には誰しもアイデンティティというものがある。

アイデンティティというのは、自分は何か、を判断する基準だ。
何をもって自分を自分として認識しているか。


あなたは誰ですか?

と聞かれたときの、答えがアイデンティティ。


ソフトウェア開発者です。

という答えが出てきたら、それがアイデンティティ。
ソフトウェア開発者がその人のアイデンティティということになる。


普通の人は、アイデンティティはひとつではない。

ソフトウェア開発者
フリーランサー
個人事業主
独身

富山出身
浜松在住
ひとり暮らし
両親健在
ふたり兄弟の弟
ランナー
ダンサー
ピアニスト
ウィンドサーファー
物理工学修了
桃好き
K人間
ゲーマー
マルチリンガル
 :


以下延々と続く。

これらを全部満たすものが自分。
どれかひとつでも満たさないものは自分ではない。

そうやって、人は自我というものを保っている。


つまりアイデンティティというのは、
自分は○○である
の○○に入るもの全部、だといってよい。

複数のアイデンティティが組み合わさって自我というものができる。
自我のおかげで、自分と自分以外を区別できる。

そういうものがアイデンティティ。


ひとりの人間には複数のアイデンティティを持つ、ということだけど、どれもが同じ強さをもっているわけではない。
個々のアイデンティティでは重要度が違う。

一般に、性別のアイデンティティは非常に強い。

男性に向かって、

お前みたいなやつ、男じゃねぇ!

みたいな罵倒は効果的だ。
強力なアイデンティティ攻撃になるからだ。

同様に女性に向かって、

その態度、女とは思えないねぇ

とかいうと、途端に修羅場が形成される。

出身地のアイデンティティが強い人も多い。
そういう人には

アンタみたいな人、九州出身とは思えないね!

という言葉が深くささる。

アイデンティティ攻撃は、場合によっては信じられないくらい強力な効果をもたらす。
無意識にやってしまって、驚きの結果になってしまうこともあるので要注意だ。
攻撃を受けた方は、一週間くらい寝込んでしまうかもしれない。

どのアイデンティティがどれくらい強いかは、本当に人それぞれ千差万別。
アイデンティティらしきものを取り扱う場合は、相手を十分に理解してから行なうのが吉。


また、アイデンティティの中には時間とともに変化せざるを得ないものもある。
住所とか家族構成とか職業とか。
結婚すれば姓も変わるかもしれない。

こういった変わらざるを得ないアイデンティティが強いと大変だ。
いざ、というときになると葛藤が起こる。

これからの自分が、今までの自分と変わってしまう。
それがはっきりと分かってしまうからだ。


例えば、引っ越しという行為は、古いアイデンティティを捨てて、新しいアイデンティティを得る行為、ともいえる。

もし、浜松在住というアイデンティティが強ければ、浜松の外へ引っ越す、ということはなかなかできない。
どんなに引っ越すメリットを理解していてもアイデンティティが邪魔をする。

これは、浜松に愛着がある、とか、住みやすい、とか、友人がいる、とかいう問題ではない。
浜松在住、という事実そのものを自分と切り離し難くなっている。
それが、強いアイデンティティである、ということだ。


強いアイデンティティというものは、人によい影響を及ぼすこともあれば悪影響を及ぼすこともある。

フリーランサーというアイデンティティが強ければ、会社勤めのよさが見えにくくなくなる。
独身というアンデンティティが強ければ、結婚が遠ざかる。
両親健在というアンデンティティが強ければ、親が亡くなったときに立ち直れなくなるかもしれない。


幸い、訓練すればアイデンティティは自分で好きなように操作することができるようになる。

そもそも、アイデンティティとは外から与えられるものではなく、自分で作るものだ。
ほとんどの人は無意識にアイデンティティを作っている。
無意識だから、自分に都合の悪いものでも作られてしまう。

貧乏人とか嫌われ者とか落伍者とか。
そういうアイデンティティを持つ人は確かにいる。

重要なのはそのアイデンティティを作ったのは、その人自身ということだ。
本人は、周りから無理矢理与えられたものだと思っているだろうが。
ついでに、自分は周りからは操作されない、という、これまた困ったアイデンティティが邪魔をしている場合も多い。


アイデンティティは、自分の頭の中にしかない。
自分の頭の中を直接触れるのは、自分だけだ。
つまり、アイデンティティは自分で作るものだ。


アイデンティティの操作が達人レベルになれば、それはもうスゴイことになる。
現実と反していても関係ない。

今出版していなくても、ベストセラー作家というアイデンティティを持つことができる。
このアイデンティティが十分強力で、維持することができればどうなるか。
いずれ現実がアイデンティティを満たすようになる。
つまり、ベストセラーが出る。

ここまでいくと本当に達人レベルなので、なかなか簡単ではない。
けど、同じ理屈はもっと簡単なものでもなりたつ。

優しい人になりたければ、私は優しい人である、というアイデンティティをでっち上げる。
かっこいい人になりたければ、私はかっこいい、というアイデンティティをでっち上げる。

でっち上げたアイデンティティを維持し続けることができれば、現実がそれに合うようになる。
往々にして、現実よりも先にアイデンティティの変化があるのだ。


そうやって、自分のアイデンティティを好きなように操作していくとよい。
少なくとも、アイデンティティは自分で操作できる、ということを認識しておくとよい。

これを知っているだけで随分違ってくる。
日々が楽しくなる。
世界が変わってくる。


そんなわけで・・・

今、私の中で最強になっているアイデンティティは、サハラマラソン完走者。
徐々に現実がアイデンティティを満たしにきているね。


<<今日のトレーニング>>

今日でBCAAが切れた。
効果のほどを確認するため、以降しばらくはBCAAなしにしてみよう。
それでパフォーマンスが落ちるようなら、効果あり、と判断して再度導入することにする。

夜間、晴れ、水500ml、BCAA前だけ5g、トレランシューズ。

距離: 8.2km
時間: 64min
vision.jpg りっぷる(カワイヒデアキ)@浜松。2010年サハラマラソン完走を目指してトレーニング中。

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