2009年12月アーカイブ

チマチマぼよんぼよん

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筋トレには2種類ある。

大きな負荷をかけて短時間でウガーっとやるもの。
小さな負荷をかけて長時間でチマチマやるもの。

鍛えられる筋肉は、それぞれで違う。


ウガー系は、身体の外側の筋肉が育つ。
胸まわり、腕まわり、足まわりなど、大きな筋肉に効果的。

チマチマ系は、胴体の中の筋肉が育つ。
肋骨周辺、背骨周辺、肩甲骨周辺、骨盤周辺など。
こちらには、小さな筋肉が多い。

チマチマ系の筋肉は、コアと呼ばれることもある。


ウガー系は、言ってしまえば、やらなくても普段の生活に支障はない。
役に立つのはアスリートかボディビルダーくらい。
健康のため、という目的であれば、実は目立った効果が期待できない。

それに対し、チマチマ系は誰であっても効果的。
むしろ必要。
チマチマ系筋肉がうまく機能しなくなると、普通の生活にも悪影響が出る。
肩や腰が痛くなったりするし、バランスを崩しやすくなってケガしやすくなったりもする。

というわけで、チマチマ系は万人のためのもの。


では、チマチマ系を鍛えるにはどうすればよいか。

チマチマ系筋肉に、チマチマと刺激を与えるようなことをすればよい。
本当にチマチマしているので、トレーニングという雰囲気ではないかもしれない。

息も切れないし、どこも痛くならない。
汗もかかないから、着替える必要もない。
鍛えるといよりかは、調整する、という方がイメージが近そうだ。
コンディショニングなんて言う場合もある。


そんなチマチマコンディショニングを行なうためには、オススメなアイテムが3つある。

バランスボール。
ストレッチポール。
メディシンボール。


バランスボールは、直径が低めのデスクくらいの巨大なボール。
弾力性があって、ぼよんぼよんしているものだ。
これに乗ってバランスを取る、という使い方をする。

まずは、座ったり膝立ちしたりする。
これだけでも結構慣れが必要だ。
上級者になると、複数のボールを用意して腕立て伏せをしたりもする。

ストレッチポールは、固くて軽い素材でできた円柱。
サイズは、高さが身長の半分くらいで、直径が手で囲めるくらい。
これの上にあおむけに寝転がってモゾモゾ動いたりする。

メディシンボールとは、重めのボールで、手にしたらズシっとくるくらいもの。
使い方のバリエーションは多く、手にしたり回したり挟んだり投げたりする。


さしあたって、これらのアイテムを部屋に転がしておけばよい。
ことあるごとに利用していれば、徐々に体が動きやすくなってくる。


のだが。

バランスボールって、でかくて邪魔くさいよなぁ・・・。


<<今日のトレーニング>>

帰省中。
日本海側は、寒い。

夕方、小雨、水なし、BCAAなし、マサイ。

距離: 10.0km
時間: 68min

暗い、急、岩だらけ

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東京出張中。

時間をやりくりして、東京のサハラメンバー2人と会ってきた。
一人は、前回も参加したベテラン経験者T氏。
もう一人は、学生時代から走り続けているツワモノN氏。

現場はライス&ナン食べ放題のカレー屋だ。
話しながら食べること3時間。
燃費の悪い我々には、ありがたいサービスである。


そして、やっぱり経験者の話はおもしろい。
実際に走ったコースの内容がナマナマしく語られる。

なんでも、砂漠とはいいつつも、砂だらけの箇所はそこまで多くない。
代わに何があるかというと・・・、

岩。
崖。
窪地。

夜、暗い中を走っているとする。
気付いたら、道(らしきもの)の幅が狭くなっている。
横を見ると両サイドとも10mほど窪んだ砂地。
落ちたらえらいことになる。
目が覚めた、と言っていた。


また、コース上には適当な間隔で目印が用意されている。
夜には、光る輪っか。
花火大会で大量に現れるアレだ。

その花火のアレが、走っていると随分高いところで光っていたりする。
近づくと、実に急な勾配の崖。
登るには手を使っていかないと。

登りきったらきったで、次の花火のアレがすごいところに見付かる。
遥か下の方に。
絶壁。
かつ岩だらけ。

暗い、急、岩だらけの三重苦。
我々はいったい何をやっているのだろうか。

とはいいながらも、話しているT氏はいかにも楽しそう。
4月が待ち遠しいと言ってはばからない。
それを聞いている私も楽しい。
ナンとライスの減りも速い。

一方、一緒に聞いていたN氏は、やや呆然。
ライスの消費も滞っている。
そうなって当然の場面のような気がしないでもない。


サハラに挑む人たちもいろいろだ。
だけどやっぱり、どこかヘン。

3ヶ月後には、そんなヘン人が26人も集まる。
自発的にヘンな活動をしに。

ヘンかける26。
楽しみだ。


<<今日のトレーニング>>

お休み。
東京は暖かくて走りやすそうなんだけど、装備がない。

風呂はまだ入るな

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走ると疲れる。
疲れると休みたくなる。
休みたくなると風呂に入りたくなる。

のだが、走る即風呂のコースには問題がある。


スポーツ業界にはアイシングというテクが存在する。
怪我とか捻挫とかした場合に、患部に氷を当てる、というアレだ。
怪我の直後にアレをやっておくと、治りが早い。

怪我対策以外にも、アイシングの効果はある。
運動直後の疲労を回復させたり、筋肉痛を和らげたりする。

運動すると、筋肉の温度は上がる。
温度が上がるということは、それだけエネルギーの消費が激しくなるということ。
運動中はそれでもよいが、運動が終了した後は、単にエネルギーを食うだけで疲労に繋がるだけである。

また、激しい運動の後では炎症を起こしている場合がある。
この場合にも冷やしておくと症状が軽くなる。
逆に温めてしまうと、症状が進んでしまって回復しにくくなる。


というわけで、今日は走った直後、とくに疲れが著しい膝とふくらはぎを冷やしてみた。
冷ための水を30秒程度シャワーする。
適当な間隔で3回くらい。

確かに、軽くなった。
数時間後には、普通に歩いても気にならないほどになった。
アイシング、おそるべし。

逆に、すぐに風呂に入ってしまっては、かえって回復が遅れることがあるということもわかった。
要注意だ。


<<今日のトレーニング>>

久々に長めに走った。
寒さ対策で厚着していったら、天気がよくて暑すぎ。
天気、要注意。

夕方、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、トレランシューズ。

距離: 20.3km
時間: 147min

メアドが住所になったり

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年賀状を作った。
作りながら思った。

今年知り合った人の中でも住所が分からない人が多い。
分からないのはきかなかったからなのだが、考えてみると他にも理由がある。

私にとって、相手がどこに住んでいるかは重要ではなくなってきたからだ。
だから、以前より住所をきかなくなったと言える。


実際、私は浜松に住んでいるが、おシゴトで関わる人はほとんどが東京在住。
それでも問題はない。

もっと言えば、相手が東京にいる必要もない。
別に富山にいてもよいし、沖縄にいてもよい。
アメリカにいても、多分大丈夫。

お互いに相手がどこにいようと、ほとんど関係ない。
こんな世の中になってしまったのもネットのおかげだ。


私の場合、フリーランスだからこういうことができる。
サラリーマンだと、なかなかこうはいかない。

が。

サラリーマンが出社する理由は何なのか。

ミーティングのため?
開発のため?
営業のため?
事務処理のため?

よく考えてみると、出社する理由が理由になっていないかもしれない。
そうすると、オフィスレスのメリットが見えてくる。

オフィス自体のコストがかからなくなる。
出社と退社にかかる時間とコストが省ける。
好きなところでシゴトができて作業効率が上がる。
もろもろのメリットが積み上がって利益が増える。
そして社員の給料が増える。

とか。


近い将来、オフィスレスな業態が増えてくる可能性はある。

オフィスレスだと、当然ながら土地に固定された住所は意味がない。
だけど、それだとアクセスが不便だ。

そこで代わりのものが必要になる。
その代わりのものというのが、ウェブサイトだったりメールアドレスだったりスカイプIDだったり。
つまり、URLやメールアドレスが従来の住所のような役割りを果たようになってくる。


オフィスレス傾向が進んでネットでやりとりするのが一般的になったら、年賀状の形態も変わってきそうだ。

例えば、年賀状の宛先に住所ではなくメアドを書いておけば届く、とか。
郵政ががんばってくれれば、そういう未来もあるかもしれない。


<<今日のトレーニング>>

ヨガ: 90min

海外サイトリンク集

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サハラマラソンに役立つ海外のリンク集。
日本では手に入らないような情報が満載。


地図(グーグルアース)
今年のサハラマラソンのコースが見れる。
想像力さえあれば、居ながらにして参加気分を味わえる。


The MdS
イギリスのサハラマラソン専用掲示板。
過去の大会からの記録も残っており経験者の声も拾える。

ゲーターは、主催が販売しているモノよりも断然よいものが存在する、などという貴重な情報も。
ゲーターというのは、砂が入らないように靴に取り付けるカバー。
この善し悪しで、足のコンディションを大きく左右する重要な装備のひとつ。


Likeys
これまたイギリスのサイト。
砂漠専門のグッズを扱っているネットショップ。
まさに、サハラマラソンのようなアドベンチャーレースのための店。
上記のゲーターも、ここで入手できる。


Weather Underground
天気予報サイト。
レース開催地である、モロッコの気温や風速などが分かる。
今年の4月の記録も見ることができるので、それを参考にしてレース時の天候を大体ながら掴んでおける。


<<今日のトレーニング>>

夕方、水なし、BCAA前後各5g、トレランシューズ。

距離: 6.3km
時間: 42min

よくわからん、どうしてくれんのよ

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引き続き Final Fantasy 13 について。
というか、そのアマゾンレビューについて。

どうしてくれんのよ!方面に走る評価を見ていて思った。


レビューに象徴されるように、今の世の中、自分で自分に合う趣味嗜好を求めることができる人が減っているのではなかろうか。

自分のやりたいことが、よくわからん。
自分の欲しいものも、よくわからん。


よくわからんけど、何かしら楽しいことはしたいし、満足感も得たい。
だから、とりあえず目立ってるもの、話題になっているものに手を出してみる。
その結果満足できれば、それでよいかもしれない。

だけど、欲しいものかどうか分からずに買ったのであれば、満足できないことも十分ありえる。
満足できなかったらどうするか。

折角、お金と労力を注ぎ込んだのに、それに報いられなかったと感じる。
その矛先が、自分ではなく、買ったものに向く。

で、どうしてくれんのよ!、と。


レビューを見ていると、こういう発言がちらほら見られる。

何十時間もプレイさせられて、苦痛でしかない。


苦痛でしかない、とのことだ。
不思議な意見だね。

何も、無理矢理プレイさせられたわけではない。
自分で進んでプレイすることを選択している。
プレイするしないは、自分で決めたはずだ。

苦痛を感じ始めた後でも、選択肢は残されている。
苦痛の先にご褒美があると信じて茨の道を突き進むか。
あるいは、中断するなり何なりして他のことを始めるか。

別に誰かに強要されているわけではない。
プレイしないと最愛の誰かが死んでしまうわけでもない。

なのに、なぜ苦痛を感じつつもプレイし続けるのか。
挙句の果てに公共の面前でここぞとばかりレビューするのか。


その答えが、自分のやりたいことがよくわからん、というところに繋がってくる。

この場合、他に選択肢を思い付かなかった、と言ってもよい。
目の前のゲームをプレイする以外に、今の時間を有意義に過ごす選択肢が見つからないのだ。

仮にゲームを始めたとしても、自分のやりたいことがよくわかっていれば判断を下すことは簡単だ。
それがやりたいことではない、と判断したら途中でやめることに躊躇はない。
やりたくないゲームを続けて自分の貴重な人生を削るよりかは、やりたいことに沿う別の道を探す方が有意義だからだ。
自分のことがよくわかっていれば、そういう判断が下せる。

こういう判断が下せずに、苦痛を伴うゲームを延々と続けるのは自分のことが分かってないからだ。


とはいいつつも。

やっぱり自分のことを理解するのは難しい。
自分のやりたいことを正確かつ十分に把握している人など、まずいない。
なんとなく分かっているような気がするだけ。

我々はそんな感じで、自分の好きなものを探しつつ、日々世界をウロついているわけだ。
言ってみれば、人生これ自分探し、みたいな世界が眼前に果てしなく広がっている。
自分のことを完璧に分かることは、死ぬまでなさそうだ。

死ぬまで自分不明な状態が続く気配が濃厚なわけだけど、それはそれで認めてしまえば意外と楽しいものかもしれない。

人生最大のナゾである「自分」が常に近くにいるわけだから、四六時中、好きなだけナゾ解きを楽しむことができる。
しかも、解いたナゾは間違いなく役に立つし、失われることもない。
これほど有意義かつ経済的なアクティビティが他にあろうか。

これが楽しめなければ、人生は苦痛だらけになってしまうかもしれない。
幸い、私自身はナゾ解きが好き。
恵まれているものだ。


<<今日のトレーニング>>

夜間、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 5.6km
時間: 40min

がっかりしたら、どうしてくれんのよ

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いきなりミリオンセラーな Final Fantasy 13 だが、アマゾンのレビューを見てみると実に面白い。
評価が真っ二つ。
肯定派と否定派に綺麗に分かれて真ん中がない。

真っ二つに分かれるのは別に構わないのだが、気になったところがある。

それが、否定派のレビューにみられるメーカー批判。

買った。
プレイした。
がっかりした。
どうしてくれんのよ!

みたいな。

がっかりした、と主張するのは別によい。
しかしながら、さらに一歩進んで、どうしてくれんのよ!とくる。

これが気になる。


ここが気になった理由を説明するには、そもそも何かを買うという行為が何なのか、というところまで遡る。

何かを買うという行為が何なのか。
もっと言えば、売買行為とは何なのか。

言ってしまえば、売買とは同程度の価値だと認められたモノの交換だ。

売り手と買い手の間で、それぞれが手にしているモノの価値が同程度の価値だとみなされる。
今回の例で言えば、一方はゲームソフト、一方は8000円のお金。
両者が共に、ソフトと8000円が同程度の価値だと納得したとする。
この場合に交換が行なわれる。

ポイントは、価値を判断するのは当事者だ、ということ。
当事者が、交換は妥当だと判断すれば、外野が何を言おうと関係ない。
交換は成立する。

売り手は、ソフトは8000円の価値で妥当だと判断したから、この値段で売っている。
あとは買い手がどう判断するか、だ。
もし購入したのであれば、それは買い手がソフトと8000円の価値が同等だと判断した、ということになる。

つまり、購入した時点で、買い手も売り手も、ソフトと8000円が同等の価値だと納得しているのである。
当然どちらか一方でも価値が妥当だと思わなければ、交換は起こらない。


こうなってくると、買い手と売り手の間に差はない、ということが分かる。
同じ価値のものを交換しただけだからだ。
買い手も売り手もどちらが優位ということはない。
対等だ。

対等だとするならば、交換が行われた後の立場も対等でないと辻褄が合わない。


もし、購入後に買い手が売り手を批判することを許すとしたらどうなるか。
翻って、売り手が買い手を批判することも許す、ということになる。
なぜなら、売り手も買い手と対等の立場だからだ。

つまり・・・、

買った。
プレイした。
がっかりした。
どうしてくれんのよ!

が妥当であるなら、

売った。
8000円手にした。
8000円では足りないと思えてきた。
どうしてくれんのよ!

も妥当になる。


実際、世の中にはこういった交換の非対称性がまかり通っている。
なぜか、お金を払った方が優位だと感じてしまう空気がある。

レストランでは、スタッフが客に尽くすのを当然だと思ったり。
ホテルでは、いい気分しなかったら自分ではなくホテルの待遇に全ての原因を求めたり。

実際はレストランでもホテルでも、そういったサービスを折込み済みでお金との交換を提案しているだけだ。
サービスに何が含まれるかは、それぞれ異なる。
交換が妥当だと思わなければ、買わないという選択肢を選ぶ権利が常にある。

確かに、サービス内容を事前に事細かに知ることは至難の技ではある。
しかしながら、交換に同意した時点でそういった不確実性も双方の間で了承済みであってしかるべき。

買ったゲームが面白くないと思う可能性は常にある。
そんなことは買う前から分かっていることであり、値段はそういった不確実性を踏まえた上でついている。


そんなわけで、何かを買うときには気を付けましょう、と。
初めから保証がついている商品を買うのであれば、買った後でそれを行使するのもよい。
しかし、保証がついていない商品を買って保証を求めるのは、勤務時間8時間で雇っておきながら12時間労働を強要するようなものである。


<<今日のトレーニング>>

夜間、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 5.1km
時間: 37min

初日でミリオンセラー

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Final Fantasy 13が発売された。
初日の販売が100万本を越えている。

好みが多様化していて、それに答えだけのインフラが整っている今の時代、ここまでヒットするのは珍しい。
それも、結構な値段のものなのに。

このソフトが、なぜここまで売れるのか。
そういうのも考えてみると面白いかもしれない。


<<今日のトレーニング>>

夕方、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

時間: 7.9km
距離: 53min

餞別ブラザー

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ある日の会話。

ねぇねぇ、パリの発着っていつ?

3/31パリ着、4/13パリ発だね。

あー、エコノミーは満席だね。



ビジネスも3/29とか4/14なら空いてるんだけど。

??

唯一その日程で空いるのはファーストだなぁ。

???

ビジネスとファースト、どっちがいい?

ん?
そりゃあもちろん、ファーストだねぇ。

あい。

しばし待つ。

はい、とれた。
メール送っといたから見といてね。
餞別な?


というわけで、期せずして航空券が手に入ってしまった。
それもファーストクラス。
間違ってビジネスに乗ったことはあるが、さすがにファーストはない。

正規の料金だと220まんいぇん。

おぉ、兄よ。
参加費の4倍もするではないですか。

そんなナイスプレゼントをしてくれる兄を持って、私は幸せ者だ。
ありがとう、マイブラザー。


とはいえ、実は航空券は買ったわけではなく、マイルの特典。
マイルをわさわさ溜めておけば、航空券に化ける。

ファーストに必要なマイルがそう簡単にたまるわけはない。
のだが、なぜかたまってしまう。
そこが兄マジックのすごいところだ。


兄はときたま、こういう特殊能力を発揮する。
特殊能力の内訳は、マイレージ、電子マネー、携帯電話事情、コンビニの分布、と多岐に渡る。
世の中に散在するややこしい仕組みを事細かに把握している。

そして、その能力をいかんなく発揮すればファーストクラスに手が届いたりもする。
本人も、しばらく前にエミレーツでファーストクラスを堪能していた。
知は力なり、だ。


ちなみに、兄は普通のIT系サラリーマン。
それなのに畑違いの分野で専門家のような知識を持っているのが恐るべきところだ。

お返しには、ファーストクラスに座ったサハラ砂漠の砂、としよう。


<<今日のトレーニング>>

お休み。
何だか休んだ方がいいような気がする。

SKINSロングタイツのレビュー

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世の中には、装備するだけで足が速くなる、というオドロキのアイテムが存在する。
そのひとつが、これ。
SKINSのロングタイツ

筋肉に適度な圧力をかけることによって運動能力を上げる、というシロモノ。
メーカー曰く、運動能力が上がるだけでなく、疲れも溜まりにくくなるし回復も速くなる。

このタイツを、サハラランナーのちはるくんが猛烈に褒めていた。
同じコンセプトの製品は、他のスポーツ用品メーカーからも出ているが、SKINSは特によいらしい。
お褒めのメールには、彼にしては珍しくビックリマークが踊っていた。
今年一番のビックリアイテムだ。


サハラの先輩にそこまでビックリされては、黙っているわけにもいくまい。
少々値段が張るが採用してみた。

そしてさきほど、身に付けて走ってきた。


確かに。
走るのが楽になった。

フォームを維持する労力が減る。
とくに気を遣わなくても、足が真っ直ぐ前に出てくれる。
そのために必要な筋肉がサポートされているような感じがする。

さらにありがたいことに、ヒザへの負担も軽くなった。
ここしばらく、5kmほど走るとヒザ痛に悩まされていたが、今日はそれがなかった。
すばらしい。


そんなわけで、SKINS、オススメ。
ありとなしでは、疲れ方が全然違う。
値段の価値はある。


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 7.0km
時間: 47min

ヨガ: 90min

日本からパリへ

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サハラマラソンはフランスが主催。
しかるべくして、出場者はパリ集合解散となる。

我々日本からの出場者は、パリまで自力で行かなくてはならない。
日本-パリ便は、約12時間。
約半日。
長い。


ところで、国際便ではたまにあることなのだが、エコノミークラスを取ったのにビジネスクラスに格上げされることがある。
数年前、スイスのチューリヒに行ったとき、格上げされた。

航空業界では、空席を埋めることが至上命題になっているので、オーバーブッキングをフツーに行なう。
座席数ぴったりにして何らかの事情で空きがでるくらいなら、余分に予約を取っておいてあぶれた人にゴメンナサイ手当を出す方が利益につながるようだ。
ゴメンナサイ手当は振り替え便プラス現金のこともあれば、空きビジネスシートだったりする。

スイス行きのときには、このゴメンナサイ手当が出たわけだ。
日本-ヨーロッパは10時間以上の長旅なので、この違いは大きい。
食事も3回だか4回だかあるわけだし、飲み物もグラスに入って出てくる。
当然シートも大きくて、隣りの人と接触することはまずない。

今回も幸先よくビジネスに座れないかなぁ、と妄想することしきり。


<<今日のトレーニング>>

最近、お腹の減りが著しい。
ますます燃費が悪くなって、省エネ指向の時流に逆らうこといみじ。

夜間、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 6.4km
時間: 44min

フルマラソンとメロン

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同じくサハラ出場予定のN氏とお茶してきた。


実は今日、静岡県の袋井でクラウンメロンマラソンなる大会が催された。
ゴールするとメロンが食べられる、というゴージャスなマラソン大会だ。
N氏はこれに出場して、ついでに浜松に寄って行ったわけだ。

マラソンの結果をきいたところ、なかなかの成績。
二位に入賞して、賞品にメロンを丸ごと一個入手していた。
あっぱれ。

20代半ばにして、そんな見事な成績を修めつつ、自力でサハラにまで行ってしまおう、という心意気はスバラシイ。

そんな彼女の練習方法は、もっぱら通勤ラン。
片道8kmばかりを往復週6回。
それだけやって平然としている。

末恐ろしい人材だ。

自分は自分で結構変わった人間だと思っていたが、自覚が足りなかったようだ。
サハラマラソンでは、想像を上まわるヘンテコ人間が続々出てくる。
ほかのメンバーに会うのも楽しみになってきた。


<<今日のトレーニング>>

少し走るとヒザが痛くなる。
困ったものだ。
そんなわけで今日は控えめに。

夜間、晴れ、水なし、前後BCAA各5g、マサイ。

距離: 6.1km
時間: 45min

日本からの参加者26名

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大会のオフィシャルページに日本からの参加者の記事が載りました。

26 competitors from JAPAN

訳しておきます。

26人の日本人参加者が第25回サハラマラソンに旅立つことになりました。
イイダ・ノリコさんは、第23回、第24回での最高齢出場者になります。
おめでとうございます。

- 女性7名
- 男性19名
- 最若年、ヒデノリ・スズキ、21歳
- 最高年、イイダ・ノリコ、73歳、3回目の出場
- 12回目の出場、ハスミ・ジュンコ

12回目も出場している方がいるのですね。
おどろきです。

こういうプロフィールを見ると、自分がいかにフツーの人間か再確認できます。
もっとヘンな風にならないと(笑)。

筋肉タイプと心肺タイプ

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長距離のトレーニングには、負荷のかけ方で大きくふたつに分けられる。
それが、筋肉への負荷と心肺機能への負荷。

筋肉への負荷は、読んで字のごとく筋肉にかかる負荷。
筋肉痛になるようなトレーニングでかかってくる。

心肺機能への負荷は、酸素を循環させる組織にかかる負荷。
心臓とか肺とか。
息が切れたり脈拍が上がったりするような運動でかかる。


このように、負荷には筋肉タイプと心肺タイプのふたつがある。
トレーニングをする際はこのふたつを区別しておくとよい。

一般に、筋肉へ負荷をかけると回復に時間がかかる。
場合によっては数日かかることもある。

それに対し、心肺機能は時間がかからない。
数分おとなしくしていれば元に戻る。


つまり、筋肉トレーニングは連続して行なうことはできないが、心肺トレーニングはできる、ということ。
この点を踏まえてトレーニングすると、効果的にランニング力を鍛えることができる。

逆に毎日同じようなトレーニングを繰り返すのは、効率的ではない。
速めのランニングは両方に負荷がかかるが、筋肉が回復しきっていない状態でこれを行なうのはよろしくない。
筋肉をかばって緩めに走ると心肺機能に負荷がかからないし、逆に心肺機能に負荷をかけようとすると筋肉に過剰な負荷がかかって故障のリスクが上がる。

ランニングで足の筋肉が疲れているときは、筋肉負荷が少ないながらも心肺負荷がかかる運動がよい。
例えば、水泳のように上半身だけでも動くことができ、かつ心肺機能に刺激のある運動など。


というわけで、筋肉と心肺機能のそれぞれに負荷をかける、という観点でトレーニングするとよい。
ランニング用のトレーニングとして、筋肉向け、心肺向けの運動には以下のようなものがある。

筋肉向けの運動。
坂道ランニング。
階段ランニング。

心肺向けの運動。
軽めのランニング。
自転車、水泳。

両方。
速めのランニング。
トレイルランニング。


こういった負荷タイプを踏まえると、昨日の10kmランニングは足の筋肉に負担がかかりすぎだった。
回復するまでは、心肺向けの運動をするのがよさそうだ。


<<今日のトレーニング>>

ヨガ: 90min

ロング・グッドバイ

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本屋をウロついていたら、目に入ったサスペンス。

「ロング・グッドバイ」レイモンド・チャンドラー。

サスペンス業界では半ば古典と言われるつつある本。


この本は日本語訳が2種類ある。
昔々の清水俊二訳と、最近の村上春樹訳。

インテリジェンスな佐藤優氏によると、村上版の方が圧倒的に深いらしい。

本質を捉える語学力が圧倒的。
それを描写する筆力も圧倒的。
ついでにいうと値段も圧倒的。
清水版は文庫で出ているが、村上版はハードカバー。

どうせなら圧倒的バージョンの方がよかろう、ということで値段も装丁も立派な村上版を手に取った。


この話、サスペンスではあるが、何も謎解きが全てではない。
人間の描写が細かい。
細かくて深い。

このあたりに、翻訳者の圧倒的ぶりが反映されているのかもしれない。
心理を描写している場面を読んでいて、訳に違和感があると冷めてしまう。
訳本なのに、そういうひっかかりが感じられないのはありがたい。

一般に、何かを訳すには、文法や語彙に精通しているだけでなく、内容にも詳しい必要がある。
人間の描写を訳すには、人間に詳しい必要がある。
そういう意味で、名著を翻訳するには著者並みの人間理解が必要になる。

翻訳という作業もシニフィエレベルで行なおうとすると大変なものだ。


<<今日のトレーニング>>

ザック付きランニングをすると、なかなか足が回復しない。
回復しないけど、走りたい気分は盛り上がってくる。
ここはひとつ気分に従って、軽く走ってみる。
そしてまた痛くなった。
ヒザがね・・・。

夕方、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 10.0km
時間: 65min

星を継ぐもの

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本屋をウロついていたら、目に入ったSF。

「星を継ぐもの」ジェイムズ・P・ホーガン。

SFとはいいつつも、話のメインは謎解きで進む。

今までの概念では、ありえない事実が次々と見付かる。
事実に対して仮説を立てては、覆されてが繰り返される。


30年も前に書かれた小説ではあるが、今読んでもおもしろい。

全編を通して未知の文化を探る、という活動が行なわれる。
読んでいると、未知の文化に対して自分自身の文化はどうなのか、というところに視点がいく。

我々の数字は、なぜ10進数なのか。
ひと月の長さは、なぜ月によって違うのか。
kgとかmとかいう単位は、どういう役割を果たしているのか。

未知の文化を探っていく過程で、自分たちの、こういった要素が意識されるようになってくる。
他人と比べることによって、自分が見えてくる、みたいな。


SFとはいいつつも、そこまでヒネクレた概念は出てこないので誰でも楽しめると思う。
もちろん、物理科学に詳しければ、より楽しめる部分が多いのは確かだけど。

普段、気にもしないような点に光を当てて、視野を広げたい場合にオススメ。


<<今日のトレーニング>>

寒い。
寒いと、水を飲みたくならない。
400mlあまった。

夜間、晴れ、水100ml、BCAA前後各5g、マサイ、ザック5kg。

距離: 10.2km
時間: 74min

マイ愛とかユア愛とかアウワ愛とか

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シニフィアンとシニフィエのスレ違いはよく起こる。
よく議論になる。
よくケンカになる。

私のこと、全然愛してくれてないじゃない!?

何言ってるの、愛してるよ。
だから、こんなにがんばってるんじゃないか!

ウソ!
じゃあ、何でトイレの電球が切れてるの!?

電球?
分かったよ、替えておけばいいんだろ?

違うの!
そうじゃなくて!

えぇっ!?
電球替えて欲しいって今言ったじゃん!?

もうっ!
全っ然わかってないっ!

「愛」違いだ。
愛というシニフィアンに当てられてるシニフィエがまるっきり違う。

ふたりの間で使われているシニフィアンが共通だったらシニフィエも同じだろう、という認識がある。
私の愛もあなたの愛も同じ意味、という認識。
この認識が問題。

バラの概念が多種多様なように、愛も十人十色。

ある人には、死にかけの人を助けることが愛。
一方、別のある人には殺すことが愛だったりする。


正しくコミュニケーションを図りたいなら、シニフィアンに惑わされてはいけない。
散々口論した後で、シニフィアンに捉われていたことに気付くこともしばしば。

一悶着の末、

あぁ、そういう意味だったのね。
それなら話は分かる。
ということになったりする。
この見解に至るまで、表面的かつ上滑りな議論が延々と続いていたわけだ。

表面的かつ上滑りな議論が無意味だとは言わないが、それを望んでやっている人はまずいないのではなかろうか。
誤解に誤解を重ねるだけの議論になってしまうから。
それよりかは、始めからシニフィエの話し合いをしたいはずだ。


それなのに、世の中には上滑り論争が絶えない。
なぜ、誤解を生むだけの、話し合いにもなっていない衝突が各地で繰り広げられるのか。

もう少し具体的に探ってみることにする。


衝突が起こるのは、同じシニフィアンに別のシニフィエが当てられたときだ。

Fさんは、愛というシニフィアンに毎日電話する、というシニフィエを当てる
Mさんは、愛というシニフィアンに家族のために脇目も振らずに仕事する、というシニフィエを当てる。

こんなとき、お互いに、
アナタのやってることは愛じゃない!
となってしまう。
戦いの火蓋が切って落とされ、眼下に血みどろの惨状が広がる。

気を付けたいのは、この発言には曖昧さが残っている、というところ。
正確に言うと、
アナタのやってることは私の言うところの愛じゃない!
だ。

短くして、
アナタのやってることはマイ愛じゃない!
としてみよう。

これならば筋は通る。
言われた方も、気分を害すこともない。

これを誤って、
アナタのやってることはユア愛じゃない!
として受け取るから、問題が発生する。

否定された、と思ってしまうのだ。
否定されれば、不快感を抱く。
否定が不快感を促すのは万国共通、全世界共通の人間心理だ。
そこが泥沼の入口となる。

マイ愛とユア愛は違う。

これを認識することさえできれば、シニフィアンレベルの問題は解決する。
マイ愛とユア愛が違う、ということが分かれば、違いを探る方向に話を進められる。
そうすれば、シニフィエ会話になる。

もしかしたら、シニフィエ界に突入した後にも争いはあるかもしれない。
が、それはシニフィアン界での争いより遥かに建設的だ。
とりあえず、シニフィエ界の話は置いておいて、そこに至るまでに論点を絞ろう。


シニフィアン違いを見つけさえすれば、当面の問題は片付く。
では、どうやってシニフィアン違いを見つけるか。
手っ取り早くて簡単な解決策のひとつを挙げておく。

名付けて、絨毯爆撃法。
会話の中で出てきた用語に、手当たり次第に「マイ」「ユア」を付ける。
手当たり次第だから、考えることはない。
とりあえず付ければよい。

もちろん、マイ付けするのは自分の頭の中で。
発話してもよいが、激しく鬱陶しがられる可能性大なのでオススメできない。
自分の頭の中だけで、手当たり次第にマイとかユアを付けて解釈する。

話が進んで、自分と相手のシニフィエが一緒だとみなして問題なさそうなら、「アウワ」にする。

始めは意識的にやった方がよいだろう。
明日から、是非実践していただきたい。

朝起きて、誰かに、
朝御飯ですよ~
と言われたら、
マイ朝御飯ですよ~
と言われたものと考える。

この朝御飯は、自分にとってはハー朝御飯だ。
ハー朝御飯はマイ朝御飯と違うのか。
多分、一緒だ。
それならば、アウワ朝御飯だ。

みたいな。

面倒臭そうだが、やってみると意外とそうでもない。
むしろ、やっているうちに楽しくなってくる。
とくに、マイナントカとユアナントカが違う、ということが判明したときの楽しさはヒトシオだ。

楽しくなってくるし慣れると、自動的に処理できるようにもなってくる。
そうなれば、自動的に会話が楽しめる、という素敵な世界が広がってくる。

ただ話するだけだから、オサイフにも優しいし、話し相手さえいればどこででもできる。
しかも、会話が建設的になるし、相手も不快な思いをしなくなるので好感度もアップ。
プライベートでは彼女ができて、ビジネスでは昇進したりする。
オススメ。
ぜひ、日々の生活に取り入れていただきたい。


<<今日のトレーニング>>

ランニング解禁。
前回からおもりを増量。
重いと足にくる。

夜間、雨、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ、ザック5kg。

距離: 10.3km
時間: 76min

バラな植物、バラな人々

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日本語でも分からない。

と言うつぶやきについて。

英語の専門書なんかを訳す際に、しばしば耳にする。

文章を訳した。
文法的、語彙的にはこれしか考えられない。
でも、何が言いたいかよく分からない。

こういうときにつぶやかれる。

何ということもないつぶやきだ。
それなのに、最近耳にして、なぜか思いっきり引っ掛かった。

なぜ、そんなに気になるのか。
考えてみた。

わかった。

ポイントは、「日本語でも」という点だ。

こう言っている裏には何があるか。
日本語なら分かる、という無意識の前提だ。

つまり、英文の意味が分からないのは、英語だから、という前提。
日本語でさえあれば、分かるに違いない、という前提だ。

引っ掛かった理由はこれだ。
この前提がヤバい。

ヤバい理由には、言葉とは何か、みたいなところが絡んでくる。


言葉とは何か。

例えば、バラ、という言葉は何を意味するか。

花びらが沢山あって、赤くて、茎にはトゲがある植物。

フツーはこれが答えになる。
フツーは。

ときには、バラは人間の性格を意味する場合もある。
バラ色、のように雰囲気を表す場合もある。
さらには人間同士のアヤしい関係を示す場合もある。

バラという単語ひとつで、全くもってばらんばらんな概念を指している。

こんな、ばらんばらん現象が起こるのは、何もバラに限ったことではない。
どんな単語でも、こういうことが起こる。
バラでなくてもばらんばらん。

つまり、概念と単語は一対一にならない。
ひとつの単語は複数の概念を指すし、ひとつの概念も複数の単語で指されたりする。
その複数っぷりは実に様々。
レトリックが絡んできたりすると、それはもう果てしない。
事実上、何でもアリ、みたいな世界が広がっている。

言葉とは、豆腐の上に建っている塔みたいなものだ。
常に覆される可能性がある。


かつて、概念と単語の区別を強調して、それぞれに名前を付けた人がいる。
便利なので、それを持ち出してみる。

概念の方はシニフィエ。
単語の方はシニフィアン。
このように呼ぶことにした。

英語感覚が鋭い人なら、ぴーんとくるかもしれない。

「シニ」は「意味」という意味。
「フィ」は動詞化。
「エ」は受け身。
「アン」は能動。

つまり、「シニフィエ」は「意味されるもの」、「シニフィアン」は「意味するもの」だ。

単語はシニフィアンであり、何らかの概念を指し示すもの、意味するものだ。
指し示される概念がシニフィエ、ということになる。

バラという単語自体はシニフィアン。
シニフィエは花だったり、性格だったり、雰囲気だったり、人間関係だったり。
シニフィアンとシニフィエを区別すると、言いたいことを理解しやすくなる。


シニフィエとシニフィアンという便利なツールを入手したところで、話を戻す。

英文で意味が分からない。
日本語に訳したら分かるのではないか。

これはどうなのよ、という話。

英文を日本語に翻訳する、という行為は、あるシニフィアンを別のシニフィアンにする行為だ。
つまり、シニフィエをそのままにしてシニフィアンだけ替える、ということ。
これしかやっていない。

シニフィエ自体を始めから知っていなければ、シニフィアンを替えたところで意味が分かるようにはならない。
知らないシニフィエが翻訳によって知っているシニフィエになることはないのだ。

知らないモノは、英語でも日本語でも知らないモノ。
翻訳して分かるようになるのは、始めから知っているモノだけ。

日本語でも分からない、なんて発言は、翻訳すれば全てが既知のシニフィエに辿りつけるような感覚ではないか。
そんな保証、どこにもないよね。

そんなわけで、日本語でも分からない、というのは別におかしくもなく、普通に起こる現象だ。
日本語なら分かる、と言いたくなる場面の方が多いような気もする。


<<今日のトレーニング>>

ランニング自粛中。

来年、ヨガティーチャーが数ヶ月ほどヨガ修行の旅に出るらしい。
そうなるとティーチャー不在でクラスは休講。
自発的にはヨガしないだろうなぁ。
どうしたものか・・・。

ヨガ: 90min

現代のポール・サイモン

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Sound of Silenceの歌詞について考えてみる。
Simon & Garfunkelの名曲だ。

名曲でありながら、歌詞の意味は分かりにくい。
分かりにくいあたりが名曲たる所以なのかもしれない。

一見、矛盾する表現が列を成しているわけだし、人によって解釈が分かれるだろう。
真相は闇の中。

それを踏まえた上で、私の解釈を挙げてみる。
あくまで私個人の解釈ですよ、ということで。


まず、タイトルの「Sound of Silence」。
全編を通して繰り返されている表現だ。

音のない音。

そのままでは意味が分からない。
論理的には矛盾している。

けど、我々はレトリックというモノの存在を知っている。
明かにレトリックだ。

音が出ていて、音が出ていない状態。
これは何を意味するのか。

手掛かりとなりそうな表現が別の箇所にある。

People talking without speaking.
People hearing without listening.
話さずに話す人々。
聞かずに聞く人々。

同じく矛盾。
音のない音と似たような表現だ。
ただ、こちらには人々というキーワードが入っている。

これらをまとめると、人々のコミュニケーション断絶をテーマにしているようだ。

話しているようで、相手に伝わっていない。
つまり、話せていない。

聞いているようで、真意を把握していない。
つまり、聞けていない。

音は出ているが、音が伝わっていない。
会話になっていない。

音のない音、というのは、コミュニケーション断絶のレトリックだ。

みんな、会話できてねーじゃん。
それでいて、できてないことに気付いてねーじゃん。

それを表現している。


さらに、そんな会話できてねーピーポーをバカ呼ばわりする。

"Fools" said I, "You do not know Silence like a cancer grows."

ここで言うSilenceは、もちろんコミュニケーション断絶。

コミュニケーション断絶が広がってまっせ。
ガンみたいに。
だけど、アンタは気付いてないね。
バカチンが。

単にコミュニケーション断絶があるだけではなく、それが広がっている。
ガンのように。
致死性を帯びて。


一方、バカチンピーポーは人とコミュニケーションを取らなくなって何をするようになったか。

ネオンを崇拝するのだ。
ネオンは夜の街に光るアレ。

これは、人間が生み出した人工物の象徴だ。
人々は、人間との関わりを避け、人工物との関わりを強くする。

人々はコミュニケーションを取らなくなって、頭の中は文明の産物ばかりになる。
それがどんどん進行している。

ヤバくね?

ということだ。


ここまでならただ問題を指摘したに止まるが、この歌詞はさらに一歩踏み込んでいる。
コミュニケーション断絶が蔓延っている。
では、どうするか。

その対策案が提示されている。
それが、この一文。

"The words of the prophets are written on the subway walls and tenement halls."

コミュニケーション断絶した人々は、ネオンに救いを求める。
どうも、救いを求めたくなるほど不安になっているようだ。
そのときに与えられた警告が、この文言だ。

預言者の言葉は、地下鉄のカベに書いてある。

これまたレトリックだ。

預言者の言葉、は、人々が求めているもの、と解釈してよいだろう。
そうすると、求めているものは地下鉄のカベにある。

地下鉄のカベには何があるのか。

日本では、想像しにくいかもしれない。
あっちの地下鉄のカベには、大抵アレがあるのだ。

そう。
落書き。

これが答え。
答えは落書きだ。


全体を通して改めて解釈してみる。

人々はコミュニケーション断絶に陥ってしまった。
当人たちは断絶に気付いておらず、その進行は止まることを知らない。

人との関わりを断って、代わりに人工物と接するようになる。
いつしか、不安を抱えた人々は祈り始め、救いを求めるようになる。
人工物に。

しかし、人工物に縋っても何の解決にもならない。
答えは、人工物の中にはない。
では、どこにあるのか。

それが、人々の生の声だ。
生の声は、落書きのように、どこにでもある。
それを聞け。


この歌詞が書かれたのは1960年代だ。
それなのに今の日本でも随分分かる話ではないか。

どこかに答えがあるような気がする。
それを求めて、テレビ、雑誌、ネットに走る。
人と会って喋っても、翌日には忘れるような無意味なものばかり。

人の声さえ正しく聞ければ、そして、まともにコミュニケーションが取れさえすれば、そこに答えがあるのではないか。
40年前の歌から、そんなメッセージが聞こえてくる。


<<今日のトレーニング>>

さらに自粛。

ぐるぐるまりもゴム人間

| コメント(4)
285万部。
コミックス史上最高の初版部数だそうな。

今をときめくワンピース。
何でこんなに売れているのか?

まゆげがぐるぐるしているからか?
それは売れそうだ。

というわけで、今日はぐるぐるの話などを・・・。


ぐるぐるまゆげ。

これは、まゆげがぐるぐるしているヒト。
人間である。

人間なのにぐるぐるまゆげと呼ばれる。


こんなのもいる。
まりもヘッド。

これも人間。
アタマがマリモのようだ。
阿寒湖がお似合い。


さらにはこんなのまで。
ゴム人間。

全身がゴム。
伸びる。
膨らむ。
人間のクセに。


ぐるぐるまゆげ、まりもヘッド、ゴム人間。

いずれも人間を指している。

よく考えてみれば、かなりムチャな表現だ。
まゆげという、神経すら通っていない身体の部分。
まりもなんていう生きているんだか何だかよく分からないような生命体。

そんな呼び方で、誰だか分かってしまう。

これがレトリック。
例えているわけだ。
人間をモノとか別の生き物とかに。

我々はモノゴトを何かに例えるということをよくやる。

確実にヒトを呼びたければ名前を使った方が間違いがない。
なのに、敢えて違う呼び方をする。
曖昧さが出るにも関わらず、こういうことをする。

その方が伝えたいことが伝わりやすいことがあるからだ。


そして、レトリックにもタイプがある。

ぐるぐるまゆげ、まりもヘッド、ゴム人間のみっつは、実は全部違うタイプ。
どれも同じように見えるかもしれないが、違うのだ。

ひとつずつ説明してみる。


まずは、ぐるぐるまゆげ。
レトリック業界ではメトニミー(換喩)と呼ばれる。

メトニミーは、対象と直接関係のあるモノが当てられる。
「ぐるぐるまゆげ」と呼ばれているヒトは、直接「ぐるぐるまゆげ」と関係がある。
ぐるぐるしたまゆげは、彼の一部だ。
「まゆげ」と「彼」には、一部と全部という直接の関係がある。

これがメトニミーだ。
直接関係がありさえあればよいので、一部・全部の関係に限らなくてもよい。
例えばこういうのがある。

全米が泣いた。
シェイクスピアを読む。
鍋をつつく。

泣いたのはアメリカではないし、読んだのはシェイクスピアでもなければ、つついたのは鍋でもない。
だけど、意味は通じる。
こういうのは全部メトニミー。


次にいってみよう。
まりもヘッド。

これはメタファー(隠喩)。
彼の頭がまりも状なのだ。

頭の形状も、まりもも、別々の概念として我々の中に存在している。
これは、彼がまりもヘッドと呼ばれる以前からだ。

ポイントは、例えが出てくる以前はこのふたつに関連はない、という点。
その時点では、類似性が認められていない。

ところが、あるとき誰かが、彼の頭とまりもは似てるじゃん、と思う。
類似性が認められる。
そうすると、頭とまりもに関連ができる。

そして、まりもヘッドと呼ばれるようになる。
これがメタファー。

メタファーにはこのようなものもある。
時は金なり。
心を読む。
彼女はバラだ。


そして最後に、ゴム人間。
シネクドキ(提喩)と呼ばれる。

彼はゴム人間である。
これが前提として受け入れられている。

この場合、論理的にはゴム人間であれば彼である、とは言えない。
他にもゴム人間がいるかもしれないからだ。

しかしながら、特定の環境下ではゴム人間といえば誰もが彼を思い浮かべる。
そういった状況では、ひとりの人間を指すのにゴム人間で通じる。
これがシネクドキだ。

より大雑把な枠で、特定のモノを指すような表現になる。

シネクドキの他の例には、焼き鳥とか、花見とか。
焼き鳥は、ツバメとかカラスではなく、フツーは鶏。
花見といえば、フツーは桜。


こんな感じで、我々が普段何気なく使っている表現にもレトリックがある。
これらレトリックも、今みてみたようにいろいろとタイプがある。
区別できるようになって、使いこなせるようになりたいものだ。


最後に、昨日の問題の答え。
らしきもの。

鳥は飛ぶ。
そして、私も飛ぶ。
だから、私は鳥だ。


この文章は、論理的には正しいとは言えない。
鳥以外で飛ぶモノも存在するかもしれないからだ。

だけど、世の中にはレトリックというものがある。
レトリックであれば、この文章は分からないでもない。


レトリックを考えると、世の中には間違った文章なんてものは、ないのかもしれないね。


<<今日のトレーニング>>

自粛。
vision.jpg りっぷる(カワイヒデアキ)@浜松。2010年サハラマラソン完走を目指してトレーニング中。

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