いきなりミリオンセラーな Final Fantasy 13 だが、アマゾンのレビューを見てみると実に面白い。
評価が真っ二つ。
肯定派と否定派に綺麗に分かれて真ん中がない。
真っ二つに分かれるのは別に構わないのだが、気になったところがある。
それが、否定派のレビューにみられるメーカー批判。
みたいな。
がっかりした、と主張するのは別によい。
しかしながら、さらに一歩進んで、どうしてくれんのよ!とくる。
これが気になる。
ここが気になった理由を説明するには、そもそも何かを買うという行為が何なのか、というところまで遡る。
何かを買うという行為が何なのか。
もっと言えば、売買行為とは何なのか。
言ってしまえば、売買とは同程度の価値だと認められたモノの交換だ。
売り手と買い手の間で、それぞれが手にしているモノの価値が同程度の価値だとみなされる。
今回の例で言えば、一方はゲームソフト、一方は8000円のお金。
両者が共に、ソフトと8000円が同程度の価値だと納得したとする。
この場合に交換が行なわれる。
ポイントは、価値を判断するのは当事者だ、ということ。
当事者が、交換は妥当だと判断すれば、外野が何を言おうと関係ない。
交換は成立する。
売り手は、ソフトは8000円の価値で妥当だと判断したから、この値段で売っている。
あとは買い手がどう判断するか、だ。
もし購入したのであれば、それは買い手がソフトと8000円の価値が同等だと判断した、ということになる。
つまり、購入した時点で、買い手も売り手も、ソフトと8000円が同等の価値だと納得しているのである。
当然どちらか一方でも価値が妥当だと思わなければ、交換は起こらない。
こうなってくると、買い手と売り手の間に差はない、ということが分かる。
同じ価値のものを交換しただけだからだ。
買い手も売り手もどちらが優位ということはない。
対等だ。
対等だとするならば、交換が行われた後の立場も対等でないと辻褄が合わない。
もし、購入後に買い手が売り手を批判することを許すとしたらどうなるか。
翻って、売り手が買い手を批判することも許す、ということになる。
なぜなら、売り手も買い手と対等の立場だからだ。
つまり・・・、
が妥当であるなら、
も妥当になる。
実際、世の中にはこういった交換の非対称性がまかり通っている。
なぜか、お金を払った方が優位だと感じてしまう空気がある。
レストランでは、スタッフが客に尽くすのを当然だと思ったり。
ホテルでは、いい気分しなかったら自分ではなくホテルの待遇に全ての原因を求めたり。
実際はレストランでもホテルでも、そういったサービスを折込み済みでお金との交換を提案しているだけだ。
サービスに何が含まれるかは、それぞれ異なる。
交換が妥当だと思わなければ、買わないという選択肢を選ぶ権利が常にある。
確かに、サービス内容を事前に事細かに知ることは至難の技ではある。
しかしながら、交換に同意した時点でそういった不確実性も双方の間で了承済みであってしかるべき。
買ったゲームが面白くないと思う可能性は常にある。
そんなことは買う前から分かっていることであり、値段はそういった不確実性を踏まえた上でついている。
そんなわけで、何かを買うときには気を付けましょう、と。
初めから保証がついている商品を買うのであれば、買った後でそれを行使するのもよい。
しかし、保証がついていない商品を買って保証を求めるのは、勤務時間8時間で雇っておきながら12時間労働を強要するようなものである。
<<今日のトレーニング>>
夜間、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。
距離: 5.1km
時間: 37min
評価が真っ二つ。
肯定派と否定派に綺麗に分かれて真ん中がない。
真っ二つに分かれるのは別に構わないのだが、気になったところがある。
それが、否定派のレビューにみられるメーカー批判。
買った。
プレイした。
がっかりした。
どうしてくれんのよ!
みたいな。
がっかりした、と主張するのは別によい。
しかしながら、さらに一歩進んで、どうしてくれんのよ!とくる。
これが気になる。
ここが気になった理由を説明するには、そもそも何かを買うという行為が何なのか、というところまで遡る。
何かを買うという行為が何なのか。
もっと言えば、売買行為とは何なのか。
言ってしまえば、売買とは同程度の価値だと認められたモノの交換だ。
売り手と買い手の間で、それぞれが手にしているモノの価値が同程度の価値だとみなされる。
今回の例で言えば、一方はゲームソフト、一方は8000円のお金。
両者が共に、ソフトと8000円が同程度の価値だと納得したとする。
この場合に交換が行なわれる。
ポイントは、価値を判断するのは当事者だ、ということ。
当事者が、交換は妥当だと判断すれば、外野が何を言おうと関係ない。
交換は成立する。
売り手は、ソフトは8000円の価値で妥当だと判断したから、この値段で売っている。
あとは買い手がどう判断するか、だ。
もし購入したのであれば、それは買い手がソフトと8000円の価値が同等だと判断した、ということになる。
つまり、購入した時点で、買い手も売り手も、ソフトと8000円が同等の価値だと納得しているのである。
当然どちらか一方でも価値が妥当だと思わなければ、交換は起こらない。
こうなってくると、買い手と売り手の間に差はない、ということが分かる。
同じ価値のものを交換しただけだからだ。
買い手も売り手もどちらが優位ということはない。
対等だ。
対等だとするならば、交換が行われた後の立場も対等でないと辻褄が合わない。
もし、購入後に買い手が売り手を批判することを許すとしたらどうなるか。
翻って、売り手が買い手を批判することも許す、ということになる。
なぜなら、売り手も買い手と対等の立場だからだ。
つまり・・・、
買った。
プレイした。
がっかりした。
どうしてくれんのよ!
が妥当であるなら、
売った。
8000円手にした。
8000円では足りないと思えてきた。
どうしてくれんのよ!
も妥当になる。
実際、世の中にはこういった交換の非対称性がまかり通っている。
なぜか、お金を払った方が優位だと感じてしまう空気がある。
レストランでは、スタッフが客に尽くすのを当然だと思ったり。
ホテルでは、いい気分しなかったら自分ではなくホテルの待遇に全ての原因を求めたり。
実際はレストランでもホテルでも、そういったサービスを折込み済みでお金との交換を提案しているだけだ。
サービスに何が含まれるかは、それぞれ異なる。
交換が妥当だと思わなければ、買わないという選択肢を選ぶ権利が常にある。
確かに、サービス内容を事前に事細かに知ることは至難の技ではある。
しかしながら、交換に同意した時点でそういった不確実性も双方の間で了承済みであってしかるべき。
買ったゲームが面白くないと思う可能性は常にある。
そんなことは買う前から分かっていることであり、値段はそういった不確実性を踏まえた上でついている。
そんなわけで、何かを買うときには気を付けましょう、と。
初めから保証がついている商品を買うのであれば、買った後でそれを行使するのもよい。
しかし、保証がついていない商品を買って保証を求めるのは、勤務時間8時間で雇っておきながら12時間労働を強要するようなものである。
<<今日のトレーニング>>
夜間、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。
距離: 5.1km
時間: 37min
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