2010年2月アーカイブ

東京マラソンなど

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今日は東京マラソン。

今回で4回目の開催。
定員35,000人に対し、申し込みは約310,000人。
倍率にすると、9倍近く。

フルマラソンの部だけでも、定員32,000人に対し、申し込みは約270,000人。

過去のフルマラソンの推移をみてみると、こんな感じ。

第1回  申込者 77,521 定員 25,000  倍率 3.1
第2回  申込者 130,062 定員 25,000  倍率 5.2
第3回  申込者 226,378 定員 30,000  倍率 7.5
第4回  申込者 272,134 定員 32,000  倍率 8.5

年々倍率は高くなっている。
定員も増えてはいるが、申し込みの増え方に追い付いていない。
人気マラソンだ。


また、東京マラソンには人間ではないランナーも多い。

トラ、ウシ、ガチャピン、ドラえもん、ピカチュウあたりは普通に走っている。
生き物ならまだしも、東京タワー、富士山といった大物も目につく。
さらに、ワールドカップ、ボーリングのピン、生ビールなど、止まるところを知らない。

まさにルツボ。
東京のど真ん中を走るからには、それくらいやっておいてちょうどよいという意見もある。

マジ走りの多いつくばマラソンとは、まるで違う様相だ。
制限時間がゆるめの7時間というのも、ルツボになる原因でもありそうだ。


今日、東京で32,000人が走ったわけだが、世界各地にも大規模なマラソン大会はある。
メジャーなところでは、こんなの。
データは2010年のもの。

パリマラソン  4月  29,000人。
ボストンマラソン  4月  22,000人。
ロンドンマラソン  4月  34,000人。
ベルリンマラソン  9月  36,000人。
シカゴマラソン  10月  31,000人。
ホノルルマラソン  12月  20,000人。

走りたい人は世界規模でいるらしい。
こうしてみると、人類は走って進化した、という説にもうなずける。


<<今日のトレーニング>>

お休み。

必要なタンパク質の量

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一日に必要なタンパク質の量は?

体重 / 1000 を目安とするとよい。
もちろん、これはあくまで目安。
生活強度が高かったり、妊娠、授乳してたりすると必要な量は増える。

さしあたって 80g 必要である、ということにする。

これだけの量のタンパク質を摂るには、どれだけの食料が必要になるか。


卵一個のタンパク質は、6g。
納豆ひとパックは、7g

合わせて卵納豆にすると、13g。

ハンバーグ100g、19g。
明太子、中サイズ(40g)、9g。

牛乳は100g中、3g。
豆乳も100g中、3g。

よく食べるものでは、こんなところか。

これだけで必要なタンパク質量を得ようとすると、卵納豆ひとつ、ハンバーグ100g、明太子ひとつに、豆乳1.3リットルになる。

なかなかタイヘンだ。

プロテインの粉末を別途摂った方がよい、という話も出てくるわけだ。


<<今日のトレーニング>>

暖かいので調子に乗ってLSD。

昼間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、トレランシューズ。

距離: 21.4km
時間: 159min

目標は達成するものか

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例の質問をすると、このような答えが返ってくることがある。

明日死ぬのなら、1ヶ月後とか1年後とかの目標なんて意味ないじゃん。
達成できないのだから。


例の質問をまるで考えたことのない人が言いそうなことだ。

こういうことを言う人には、何のために目標を立てるのか、が見えていない。
目標は、達成しなければ無意味、ととらえている。


目標をこのようにとらえてしまうと、目標と自分の関係が切り離されたものになる。
つまり、目標を達成する過程に自分が関わっていなくてもよい。

例えば、100万円手に入れる、という目標を立てたとする。
目標を立てた翌日、どういうわけか、誰かが100万円くれたとする。
これで目標は達成したことになるか。

達成した、と言いきるには、どこかしらに違和感を感じるのではなかろうか。

この違和感が、目標は達成だけに意味があるわけではない、という根拠になる。


では、目標とは何なのか。

答え。

それを達成できる自分に近づくために設定するもの。


目標とは、自分を何かに近づけようとするために立てるものだ。
その何か、というのが、理想の自分だ。

我々は理想の自分に近づくために目標を立てる。


だから、目標が達成されたかどうか、という点は重要ではない。
目標に向かって突き進む、という過程で、少しくらいは目標を達成できる能力が育つはずだ。
つまり、理想の自分に近づくはず。

理想の自分に近づくために目標を立てたのであれば、その時点で目標の意義は発揮されている。


冒頭の答えはこう主張している。

明日死ぬなら、目標は無意味だ。

この主張は、どうせ死ぬなら理想の自分に近づく努力をしなくてよい、と同じ意味になる。


そんな生き方をしたいのか。
考え抜いた末に、そういう生き方に辿りついたのであればよい。

しかしながら大して考えもせず、漫然と目標イコール達成のみに価値アリ、と思っているなら不幸なことだと思う。
結果的に理想の自分から目をそらした生き方になってしまっているから。

そういう意味でも、例の質問の威力はすごい。
定期的に問いかけたい、という意味が、こういうところにもある。


<<今日のトレーニング>>

昼間、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.1km
時間: 66min

例の質問

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先週の金曜から昨日までの3日間、東京に行っていた。

おシゴトやら、お勉強やら、雑談やらで、文字通り3日間ベッタリ埋まった。
おかげで、物理的にブログをアップすることができなかった。

その代わりというか何というか、今回の東京ウロウロでは得るものが多かった。
いろいろ考えることもあったし、興味深い概念も学べたし、人とのコミュニケーションも深まった。


そして、またしてもでてきた例の質問。

明日死んでも後悔しないか?


考えるのはシンドいし鬱陶しいものだけど、この質問ほど重要なものはない。

まさにキング・オブ・シツモン。

しんどくて鬱陶しいのは分かっているが、それでも大事。
あわよくば全人類に強制的に考えさせたい。
それで悩んで迷って前後不覚になる可能性もあるが、それでもやっぱり勧めたい。

明日死んでも後悔しないか、と問われて、考え方や行動の仕方が変わらないのであれば、その人はよい生き方をしている。
立ち止まって考えてしまったり、やることを変えようとしてしまうなら、自分の生き方をしていない。
他人の生き方をしている。


今、この質問に答えなくても、いずれは答えなくてはならない。
死ななかった人間など、今のところいないのだから。

定期的に、自分で自分に問うてみるとよい。

<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 10.2km
時間: 66min

区別するかテキトーにするか

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最近は映画も三次元になってきた。
もちろん、それに伴ってリアル感が増す。

かつては、白黒で音声もモノラルで、臨場感のカケラもない表現しかできなかった。
それが、カラーになってステレオになって、三次元になって、5.1チャンネルになって。

この先、どこへ行くのか。

想像に難くない。

いずれ、現実と仮想の区別がつかなくなる。


長い時間、電車や飛行機を乗り継がなくても、エッフェル塔を登れる。
伝染病や怪我の心配をしなくても、アフリカの奥地を探検できる。
あわよくば、地球上に存在しないファンタジーな世界にも行ける。

そういう体験ができるようになるのも、遠くないように思われる。


そんな感じで仮想があまりにも現実っぽくなってしまうと、便利になる反面、困った問題も出てくる。

自分の記憶が信用ならなくなる、ということ。

つまり、本当に体験したのか、仮想的に体験したのか分からない。
あまりにもリアルなので、仮想的な体験を本当の体験と錯覚してしまう。

先日、グアムに行った気がするが、あれは本当に行っていたのか。
それとも、行った気がするだけなのか。

去年、マラソンを走った気がするが、あれは本当に走ったのか。
それとも、走った気がするだけなのか。

10年前、札幌に住んでいたような気がするが、あれは本当にそこにいたのか。
それとも、気のせいか。


過去の記憶は誰でも持っていて、普段我々はそれを無批判に受け入れている。
しかしながら、その記憶が現実であったかどうかを確かめる手段は思いのほか心許無い。

写真があるから、友人がいるから、記録に残っているから。

そういう根拠をもとにして、記憶が確かなことを保証しようとする。
興味深いのは、保証は全て自分の外に求めていることだ。
自分の記憶だけを根拠に、体験が現実であったかどうかを主張することは、あまりない。
特に時間が経っていれば経っているほど。

なぜ、記憶だけでは不十分なのか。

記憶が、ここぞというときにはいまひとつアテにならないことを経験的に知っているからではないか。

実際、時間とともに記憶は変形していく、ということを示す研究は多い。
記憶の中の風景は変わるし印象も変わるし、ことによると、起こってないことが起こったことになったりもする。


そんな曖昧っぷり満載の我々の記憶が、仮想テクノロジーの進歩によって拍車がかかる。

そうなったとき、我々の行動はどうなるのだろう。
記憶のアテにならなさが、極限まで進んでしまった場合の我々の動きだ。

大雑把に、二パターンに分かれそうだ。

パターンその一。
現実と仮想の区別をより明確にしようとする。
記憶はアテにならないなら、記憶以外のもので何とか区別しようとする。
日記をつけたり、やたら写真を撮ったり、行った場所で手に入れたものを大事に取っておいたり。

そうやって、仮想では得られないハズのものを手元にどんどん溜めこむ。
記憶が曖昧だと感じたら、それらを手掛りにして、区別を改めて強化する、という方針だ。
あくまでも、現実は現実、仮想は仮想なのであって、これらは別物、ということだ。

パターンその二。
現実と仮想の区別をテキトーにする。
記憶はアテにならないなら、アテにならないでそれを認める。
その上で、無理に区別を明確にしようとしない。

だから、記憶のなかの体験らしきものが現実であったかどうかは、あまり気にしない。
記憶のなかにあるままのかたちで、それを認める。

こちらの方針だと、しばしば外の世界と噛み合わないことがある。
人の話と食い違ったり、あると思っていたものがなかったりする。
けど、そういうことが起こるのも認める。
その都度、認識を改めて自分の方をその場に合わせるようにする。


自分だったら、どちらのパターンに行ってしまうか。

考えてみるとおもしろい。


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水なし、BCAAなし、マサイ。

距離: 12.3km
時間: 73min

光陰、飛んだり這ったり

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走っていると、時間の流れ方が一様に感じられなかったりする。
走りはじめの10分が非常に長く感じられたりするし、かと思えば突然20分ほど飛んだりする。
気がついたら、1時間経っていた、ということもある。

この時間感覚の不均一さは、走っているときに限らない。
楽器を弾いているとき、本を読んでいるとき、誰かと話しているとき、などなど。
いろんな場面で起こる。

我々の感覚では、いつもいつも時計の針が角度を刻むように均一な時間は流れていない。
しばしば、矢のように飛んだりする。

その一方で、飛ぶどころか這うように感じられることもある。
つまらない講義を聞いているとき、無意味と思える会合に同席しているとき、横になりながら眠れないとき。
こういうときは、時間の流れはごく均一に感じられる。
秒針が規則正しく動くように。

時間の流れ方には二面性がある。
飛ぶように感じられる不連続で不均質な時間と、這うように感じられる連続で均質な時間。

とある一派は、飛ぶ方を聖なる時間、這う方を俗なる時間と呼んでいる。


時間のもつ二面性を意識して我々の生活を見てみることにする。
どちらの時間が生活の中でどれくらいを占めているか。

どちらかが多すぎる、と感じたら、それは危ない。
多い方を減らすか、少ない方を増やすかしてバランスをとる必要がある。

なぜ、バランスをとる必要があるのか。
これを説明するためには、極端な例を考えてみると分かりやすい。
全てをどちらかの時間で満たしてしまうとどうなるか、を考えてみる。

まず、全てが俗なる時間になったらどうなるか。
時間が時計の針のごとく、一定の速度で動いていくのが感じられる状況が日常を支配している場合だ。

例えば、意味不明なアイスランド語を毎日毎日黙って聞くという活動をする。
あるいは、延々と流れてくるパンにゴマを付けるという作業をする。
それか、手書きの数字をひたすらコンピューターに打ち込んでいく、ということをする。

こういった状況が毎日毎日満遍なく続く。
しかも、これが死ぬまで続く、ということが確定してしまっている。

これが、全てが俗なる時間になってしまった状況だ。


一方、全てが聖なる時間になってしまうとどうなるか。
いつもいつも、時間が飛ぶように過ぎる。
気が付けば日が暮れていて、あとは寝るだけ。

スーパーは22時で閉まる。
気がついたら22時を過ぎている。
友人との約束が15時にある。
気がついたら18時になっている。
終電は24時。
気がついたら日付が変わっている。

時間が飛ぶと、外の世界との関わりが保てなくなる。
どこかに俗なる時間が入っていないと、誰とも何の約束もできないし、何の社会活動もできない。

聖なる時間で満たされてしまうと、自分ひとりだけ、あるいは、閉じたコミュニティだけの活動しかできない。


全て、というのは極端な例だ。
しかしながら、どちらかが多すぎると、極端な場合に近付いていく。
それを踏まえてイメージしてみると、分かりやすい。

もし、全てバージョンはどちらも避けたいと思うなら、それは両方の時間をバランスよく確保する必要があるということになる。
聖と俗の時間の両方が。


実際、機械みたいに扱われても全く問題ない人とか、悟りきってしまって世俗の活動から切り離されても一向に構わない人もいる。
そういう人たちには、バランスは必要ない。

しかしながら、世の中の大多数の人々はそうではないだろう。
人間らしく扱われたいし、社会的な活動もしたい。
だから聖と俗のバランスが重要になってくる。

その視点で世の中を見てみると、今の世の中はどうか。
どうも、俗の傾向が強すぎるように見られる。
聖が足りない。
時間を忘れて取り組める活動がどれほどあるか。

日本の自殺者数がここ何年も先進諸国でぶっちぎりなのは、そのあたりにも原因があるかもしれない。
自分にとっての聖なる時間が何なのか。
一度、これを考えてみるとよいと思う。


<<今日のトレーニング>>

BCAA調達中・・・。

夜間、曇り、水なし、BCAAなし、マサイ。

距離: 11.0km
時間: 64min

やればやるほど長くなる

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maisaka01.jpg今日はLSD。
ロングでスローでディスタンスな走り。

これ、ウワサ通り、やればやるほど疲れにくくなってくる。
効果が出ているようだ。

一方で、困った面も出てくる。
LSDは疲れの限界まで目指さないと効果が薄い。

このあたりが悩ましい。
つまり、どういうことかというと・・・

やればやるほど、LSDの時間が長くなる。
鍛えれば鍛えるほど、燃料の持ちがよくなるので、燃料切れが遠ざかる。
LSDは燃料を切らしがポイントなので、必然的にそうなってしまう。


実際、サハラ経験者レベルともなると、その長さたるや相当なもの。
LSD一回に5時間かかるとか。

ここまでくると、もはや、その日はLSDで終わってしまう感がある。
LSDデー。

まだまだ、3時間程度で済んでいるうちはいい方なのかもしれない。


<<今日のトレーニング>>

砂浜も交えつつLSD。
しかも荷物3kgつき。
そして、BCAAが切れた。

昼間、晴れ、水1000ml、BCAA後5g、トレランシューズ、荷物3kg。

距離: 20.3km
時間: 158min

ナイトショー・イン・パリ

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ニューイヤーのメッセージに続いて、本部からまたなにがしか送られてきた。

mds-night-show.jpg
イベントのお知らせだ。

他の参加者と一緒に、ショーを楽しみつつディナーしましょう、と。
親分のパトリックさんも喋るらしい。

ただ残念なことに、開催がパリ。

行く?

ちょっと遠くね?


というわけで、暖かく見守りつつスルーすることにする。

日本でもやってくれないですかね?


<<今日のトレーニング>>

昼間、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 12.6km
時間: 85min

おいしい?と聞くと記憶から消える

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料理を作ったとする。
アノ人に食べさせたとする。
そうすると聞きたくなるのが人情というもの。

おいしい?


これを聞いてしまうとどうなるか。

うん、おいしい。

わぁー、うれしい。

そして・・・。

料理の味がアノ人の記憶から消える。


味を喋らせてしまうと記憶に残らない。
感覚的なものをを言語化してしまうと、本当のところが分からなくなる。
人間の心理には、こういった効果が働くようになっている。

味に限ったことではないが、感覚や感情というものは、完全に言語化できるものではない。
そういった感覚・感情は、味わった時点のモヤモヤしたものがナマの状態。
それを言語化してしまうと、ナマの状態がただの単語の羅列に成り下がってしまう。

おいしい、と言ってしまったら、その味は他の「おいしい」ものと同列になり、区別がつかなくなる。
そうなると、その味は特別なものではなくなり、味わったはずの感覚は記憶から速やかに薄れて消える。
後には、おいしい、という言葉だけが残り、どうおいしかったのかは思い出せない。

仮に、表現がより複雑だったとしても、ナマの味が失われるのは変わりない。
まったりとしていながらも、さっぱりとしていつつ、かつ、もっさりしている。
と言ったところで、元の味は記憶されない。
記憶に残るのは、文章にした表現そのものだけだ。


このような心理効果を如実に示すおもしろい例がある。

一流のソムリエは、どうやってワインの味を記憶しているのか。
調べてみると、誰もワインを飲んだときの感覚、感情やイメージを言語化していない。

二流のソムリエは、事細かに味を解説したノートを持っていたりする。
一方で、一流はそのようなものを利用せずに、数百にも上るワインの味を区別したりするのだ。

微妙な違いを言葉で表現しようとすると、味と銘柄が一致しなくなると言う。
どんな微細な味をも完全に表現できるような都合のよい言葉など、普通はない。
だから無理に言語化しようとすると、どんなに語彙が豊富でも近似的な表現を使わざるを得ない。
記憶に残るのは近似的な表現の方になってしまい、本来の味ではなくなる。
それで味と銘柄が一致しなくなってしまう。

一流は、言語化などせずに、何だか表現できない味を何だか表現できないままにしておく。
ありのままを記憶するには、その方法しかないのだ。


そんなわけで、感覚や感情を忠実に記憶に残したければ、言語で表現するのは控えた方がよい。
モヤっとしたままにしておいて放置。
仮に言語化するとしたら、勝手に擬態語でも作ってしまうしかない。

もしょりるん。

メモやノートに記録するなら、感覚や感情とは切り離された客観的なものだけにしておく。
記録するのは、誰が見ても疑問の余地がない写実的な描写だけ。

キャベツとセロリとトマトとキュウリが味噌で味付けされて炒められた。

この描写を読み直せば、それを食べたときの感覚が思い出される。
その感覚を言語化せずに、味わえばよい。


もしょりるん。

もし、アノ人がこんな宇宙語を発したのであれば、理解できなくても許してやってほしい。
それは、味を記憶に残そうとがんばりつつも、言語化のプレッシャーに応えようとした努力の後なのだ。


<<今日のトレーニング>>

昼間、曇り、水500ml、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.4km
時間: 62min

海辺のあれこれ

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海辺でみつけたあれこれ。

guam14.jpg
チャペル。
毎日毎日、日本人カップルがウェディングしている。
いま流行りのリゾ婚。

guam15.jpg
休憩中のナマコ。
英語でいうと、海のキュウリ。
今日もチャペルの前で、ウェディングを見守っている。

guam16.jpg
現地人らしき釣り人。
いくら観光客がうようよしていようと関係ナシ。
マイペース。

guam17.jpg
手作り芸術作品。
通りがかりの白人(男)が大爆笑。
芸術は言語を越える。

guam18.jpg
カップルとキュウリと釣り人と芸術家の海岸。
ただの砂浜にも、いろんな生活が垣間見える。

<<今日のトレーニング>>

朝、晴れ、水適量、BCAAなし、サンダル。

距離: 6.0km
時間: 60min

椰子の木わらわら

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ビーチ激近。
徒歩1分。

というわけで、今日は砂浜ジョギング。

guam07.jpg
ビーチ方面。
プールがわさわさ。

guam08.jpg
森の中。
椰子の木がわらわら。

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1分後。

guam10.jpg
水際。

guam11.jpg
走り中。

guam12.jpg
ビーチ、狭い。
傾きがかなりきつい。

guam13.jpg
ジョギング終わり。
南国は暖かくてよろしい。

<<今日のトレーニング>>

朝、晴れ、水適量、BCAAなし、サンダル。

距離: 6.1km
時間: 62min

おめでたい南国

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おめでたいことがあったので、南国に行くことになった。

guam01.jpg
セントレア。
搭乗待ち中。

guam02.jpg
雲の上。
この時期は旅行者が少なくて、席はガラガラ。
3席占領中。

guam03.jpg
約3時間半で、到着。

guam04.jpg
ホテルに向かって移動中。
アメリカとはいえ、中身はまるで日本。
大抵の店は日本語も通じる。

guam05.jpg
ホテル。
バスルームに窓がついてる。

guam06.jpg
オーシャンビュー。
おつかれさま。

そんなわけで、これから数日ビーチには事欠かない。

<<今日のトレーニング>>

なし。

だらだらちんたら延々と

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LSDというトレーニング方法がある。
Long Slow Distance。
日本語にすると、だらだらちんたら延々と走る、という意味。
とにかく長い時間をゆっくり走るというトレーニングだ。


このトレーニング方法、今となっては珍しくもない。
ことあるごとに、LSDいいよ~、という話をきく。

ところが、これが本当のところはどのようなトレーニングなのか、よく分からない。
分かった話を聞いたことがない。

往々にして、ただひたすらゆっくり長く、という説明がされるだけ。
なぜLSDがよいのか、どういう場合にLSDをするとよいのか、という説明がないままだ。

それなのに、どういうわけかLSDはいいらしい、という話はきく。
気になる話だ。


というわけで、LSDの大本を調べてみた。

大本というと、この人。
佐々木功氏。

インターバルトレーニングが全盛のころ、海外で話題になっていたLSDを日本に持ち込んだ張本人。
いわば、日本におけるLSDの先駆者。

その彼に言わせると、LSDの特徴は主にみっつだ。

グリコーゲンを枯渇させる。
バランスのよいフォームが身につく。
疲労を回復させる。


ひとつずつ説明してみる。

まず、グリコーゲンの枯渇。

グリコーゲンというのは、運動するための燃料だ。
筋肉や肝臓に蓄えられている。
我々は、この燃料を消費するおかげで運動することができる。

しかしながら、このグリコーゲンは無尽蔵にあるわけではない。
使い続ければ、いつかは枯渇する。

フルマラソンには30kmの壁というものが存在する。
これが、燃料切れ。
グリコーゲンがなくなって一気にしんどくなるのが、それくらいの距離を走った頃合いだ、ということだ。

長時間運動して、この枯渇状態を意図的に導くのがLSDの目的のひとつになる。
ポイントは、いくら運動の激しさを上げても、短時間で枯渇することはない、ということ。
だから時間の長さが重要になってくる。

また、枯渇するのには必要なのは時間であり、距離は直接関係しない。
20kmとか30kmとか言われる場合もあるが、それはあくまで目安。
時間さえかけていれば10kmでも問題ない。

グリコーゲン枯渇までに要する時間は、2~3時間くらい。
トレーニングを積んだ人の方が、時間がかかる。

この枯渇状態を経験すればするほど、人間の身体はグリコーゲンの枯渇対策を行ってくれる。
その結果、長距離体質になっていく、というわけだ。


ふたつめ、バランスのよいフォームについて。

走るフォームは重要だ。
フォームのバランスが悪いと、当然ながら余分なエネルギーを消耗する。
特に長距離の場合、少しの違いでも溜まり溜まって最終的には大変な影響を与えることになる。

その大事なフォームを矯正する効果がLSDにはある。

もし、乱れたフォームが直らないとしたら、それは動きが速すぎるからだ。
動きが速いと、自分のフォームを細かくチェックすることができない。

例えば、左右で均等にリズムを取っているつもりでも、若干ずれている場合がある。
テンポが速ければ、そのズレにはなかなか気付くことができない。
自分では均等のつもりで走っているし、それがバランスの悪いフォームであるとも思わない。

ところが、ゆっくり走るとそういうズレは目立ってくる。
自覚できるようになってくる。

テンポが速いと見えなかったバランスの悪さが際立ってくる。
リアルタイムで再生すると何ともないように見えるが、スロー再生するとよろしくない点がいろいろみつかるものだ。
ゆっくり走ると、そういう効果が得られる。

よくない点を自覚してしまえば、対応することができる。
数時間という長い間動き続けるわけだから、否が応にも省エネなフォームを模索しはじめる。
その過程で、バランスの悪さは改善されていくし、より効率的なかたちに調整されていく。

こうやって得られたフォームは、速く走った際にも活きてくる。
効率的なのはそのままで、テンポを上げることができるようになってくるということだ。


そして最後に、疲労の回復が挙げられる。

体調が悪いときには、何もしないで休むよりLSDをやった方がよい。
激しい動作ではないので、負担はかからない。

ゆっくりと身体を動かし続けることで、疲労感が徐々に抜けていく、ということだ。

氏の説明ではそういうことになっているが、正直、これは原理がよく分からない。
精神的なものもあるかもしれない。

この効果については、実際にやってみて実感するのがよいと思う。


そんなわけでLSD。
グリコーゲン力をアップさせつつ、フォームを改善しつつ、疲労も抜ける、という素敵なトレーニングだ。

難点は、今さら言うまでもないが時間がかかること。
最低でも2時間は必要。
忙しい現代に生きている我々には難しいところだ。
そんな中でがんばって時間を作って実践していれば、きっといいことがあるに違いない。


<<今日のトレーニング>>

LSDやってみた。
ついでに砂浜も走ってみた。
時間の割に距離が貧弱なのは、そのため。
LSDで距離を気にするのは御法度だ。

昼間、晴れ、水500ml、BCAA前後各5g、トレランシューズ。

距離: 21.8km
時間: 172min

マサイ対お気楽トーン

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Reebok の EASYTONE。
shoes_reebok2.jpg
試し履きしてきた。

結論。

マサイユーザーには必要ない。

うん。
不要。

若干ふよふよした感じはあるが、マサイには遠く及ばない。
耐震用のゲルを敷き詰めた上を歩いてみたら、あんな感じになるかもしれない。

日常的にマサイやっている我々としては、新しく購入するほどのものではないだろう。


<<今日のトレーニング>>

夜間、晴れ、水なし、BCAA前後各5g、マサイ。

距離: 9.1km
時間: 62min

vision.jpg りっぷる(カワイヒデアキ)@浜松。2010年サハラマラソン完走を目指してトレーニング中。

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